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2015.01.03 (Sat)

生誕120周年オルフの『カルミナ・ブラーナ』の謎---音楽・ナチス・青少年

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 引き続きクラシック万歳!!




イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



カール・オルフ(独)作曲 『カルミナ・ブラーナ』 
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団
ラテン語で歌われるところが、興味をひく。



オルフ:カルミナ・ブラーナオルフ:カルミナ・ブラーナ
(2009/11/11)
ヤノヴィッツ(グンドゥラ)、シュトルツェ(ゲルハルト) 他

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『カルミナ・ブラーナ』の代表的名盤。



みなさんはカール・オルフ作曲『カルミナ・ブラーナ』という作品を聞いたことがあるだろうか。題名は知らなくても、何とも物々しげなリズムとテンポで始まる出だしはテレビのBGMでおなじみのものだろう。クラシック音楽でもとびきり有名なこの曲。しかし実は最近まであまり録音される機会が少なかったことはご存じだろうか。今でこそラトル等有名指揮者が録音しているが、往年の大指揮者、例えばフルトヴェングラーやカラヤン、バーンスタイン等は録音が残っていない。彼らの中には生前、何回か演奏したことがある者がいるにもかかわらず、である。何故なのか。何かこの曲に録音してはいけないタブーでもあったというのか。


はっきりした理由は分からないが、どうもこの曲の作曲者カール・オルフに原因があるようだ。1895年に生まれ、今年2015年が生誕120周年である彼が『カルミナ・ブラーナ』を作曲したのは1936年である(日本では昭和11年二・二六事件が起こり軍が力を持った)。 当時オルフの祖国ドイツでは、ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を握っていた。このナチスのリーダーであった総統ヒトラーが『カルミナ・ブラーナ』を気にいっていたのだ。後で詳しく書くが、やがてオルフはナチスに取り入れられ賞金まで貰うようになる。だが戦後になると、このことが問題になったのだ。そういえば、その「原始的」といわれる独特なリズムなど、この曲自体に内在する雰囲気が、どこか当時のナチスの野蛮性をイメージさせる。同時代のシェーンベルクの 12音音楽や無調音楽など先進的な音楽はナチスに批判されるが、対極にあるこの作品が気にいられるのも不思議なことではないように思う。


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カール・オルフ(Carl Orff 1895-1982)


しかしこうした考えは皮相に過ぎるようだ。というのもこの曲の内容をよく調べると、ナチスの世界観とはかなり食い違うところがあるからである。
もともとの<カルミナ・ブラーナ>とは中世ヨーロッパの時代、修道院を訪れた学生や修道僧等が作った「世俗的詩歌」を指していた。「世俗的」とある通り中世にもかかわらず敬虔な神への祈り、といった内容は全く入っていない。代わりに歌われているのは、文字通り 「酒、女、賭博」 にまつわる色々な詩である。「もし若者が娘と一緒にいたら」という何とも坊さんとしてはアヤシゲな内容の詩もある。これら詩歌は、19世紀初期になって初めてドイツ南部の修道院で発見されたのであるが、オルフは、これらの詩歌の中から幾つかを自ら選び、それを土台にして「世俗的カンタータ」として曲をつけたのだ。
さて、一方のナチスと言えば道徳に関しては厳格であった。いかに歌詞がラテン語であったとはいえ、風紀を乱す若者たちのいい加減な生活を赤裸々に描いた曲をコンサートホールで流されたら、たまったものではなかっただろう。しかもオルフは今でこそナチスに近い作曲家として知られているが、実は同時代の作曲家から様々な影響を受けていた。『カルミナ・ブラーナ』もストラヴィンスキーの『結婚』というバレエ作品に、オルフが触発されて書いたという説もある。だが、ナチスは先進的作曲家をひとくくりにして「退廃的」と決めつけ、ドイツの音楽界から排除しようとした。



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中世の<カルミナ・ブラーナ>の写本
19世紀初期になって初めてドイツ南部の修道院で発見された

「遊び(賭博)をやっているものもあれば、飲んでいる奴もいる、無分別な暮らしをする奴、だがばくちを長くやっている奴の中には着物を剥がれるのもある。そこではちゃんと着物を着ているものも、乞食のぼろにくるまったのもがあるが、その一人として死を恐れず、お酒のために賽を振るのだ」 

第14曲「酒場に私が居るときにゃ」の歌詞から(呉茂一訳)



ここで二つの疑問が出てくる。
一つ目は、何故オルフが、今でいう歌謡曲やポピュラー音楽で歌われる様な ‘世俗的詩歌’ を用いた曲を書こうとしたのか。
二つ目は、何故ナチスは、本来は自分たちの考えと食い違う曲の、演奏を許したのか。

ということである。安易に答えはもちろん出せないが、私はある一つのキーワードで答えに近づけるのではないかと思っている。それは「青少年」である。


まず第一の疑問について考えてみよう。中世の<カルミナ・ブラーナ>の詩歌に出会った時、激しい衝撃を受けたオルフ。自作の『カルミナ・ブラーナ』以前の自分の曲は「全部廃棄してほしい。というのは私にとって『カルミナ・ブラーナ』が本当の出発点になるからである」とまで出版社への手紙で書いている。この少々異常とも思える曲への執着には何があるのか。一つの説明としてはオルフが『カルミナ・ブラーナ』の作曲を通じて、シンプルなリズムを際立たせた自らの作曲法を確立したからだというものがある。しかしそれでは中世の詩歌に出会った時なぜ衝撃を受けたのかという説明が出来ない。
ここで唐突かもしれないが、あまりクラシックの音楽関係者には注目されない、オルフが作曲者であると同時に「教育者」であった事実に注目してみよう。三輪宣彦氏の研究によると、オルフは当時でもかなり先進的な音楽教育を推進していた人物であった。彼は早くからスイスの教育者・作曲家ダンクローズの「リトミック」の理論を研究していた。リトミックとは体操や音楽などを、それまでの、単なる教師の側からの「押しつけ」や「訓練」のように教えるのではなく、生徒の‘ 自発性 ’に重きを置いて教えるべきだという教育理論である。つまりソルフェージュを機械的にひたすら繰り返すのではなく‘ 音楽をすることの本来の喜び ’を教育を通して生徒に教えようというのだ。オルフはそのために独自の教育法を編み出す。まず彼は音楽だけではだめだと考えダンスと音楽を融合した教育を行おうとした。この両者は「リズムが存在する」という点で共通する。つまり読譜よりまずリズムを生徒の身体になじませようとしたのだ。彼は実際1924年に舞踏家のドロテア・ギュンターと共に音楽とダンス・体操を組み合わせた独自の教育を行う「ギュンター学校」を創設した。こうした「音楽・舞踏・言葉」の綜合は古代ギリシャの理念に通底するものであり、オルフの生涯の理念でもあった。他にもオルフは青少年の‘ 自発性 ’を引き出すという発想の下、即興演奏、グループ演奏を重視し、そのために楽譜が読めなくてもすぐに音が出せ、合奏が可能な楽器を発明した。これが「オルフ楽器」というものであり、木琴や鉄琴、タンバリンといった楽器を教育用にあつらえたものであった。ここから分かるのは、オルフの音楽教育が実は現代の音楽教育にかなり影響を及ぼしている事である。例えば私たちは幼稚園生や小学生の時に、学校や音楽教室で楽譜を読む以前に、「音に触れるため」と称して木琴や太鼓等を訳もなく叩いて音を出した経験がなかっただろうか。それはオルフの音楽教育が少なからず影響しているのである。



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オルフ楽器の数々



このような背景を踏まえるとオルフが<カルミナ・ブラーナ>に衝撃を受けた理由も分かりやすくなる。オルフは外部からの教条的な教育(たとえそれで、音楽の技法を最も早く、「合理的」に身につけられるとしても!)を否定し、「音楽することの喜び」など人間本来の心の在り方の方を重視する人物であった。
そうした考えを持つ彼にとっては、中世において「祈りかつ働け」というモットーがあるような敬虔で禁欲的なイメージのある修道僧が、自らの内面を赤裸々に告白した詩歌は逆に受け入れやすいものであった。これこそ中世の厳格なキリスト教道徳にしばられ、鬱屈した若者たちの、真の心情の吐露であり、叫びである。次世代の教育はこれを抑圧するのではなく、むしろ受け止める形で変えられていかなくてはいけないのではないか。オルフはこのように考えたのかもしれない。この曲が非常にリズミカルであるという特徴も、彼がシンプルなリズム教育を推進していたという背景から説明できるだろう。複雑な和声や無調ではなく、より単純かつ根源的なリズムへの回帰こそがこれからの教育や音楽の進むべき道なのだ、というわけである。


しかしこうしたオルフの音楽理念はナチスとどうかかわったのだろうか。ナチスはむしろ青少年の‘ 自発性 ’を抑え込む方向にあった。青少年を統率する「ヒトラー・ユーゲント」という組織を作り、若者にキャンプ等の野外活動の他に準軍事訓練も施していた。一見するとナチスがオルフの『カルミナ・ブラーナ』の演奏を許す理由はないように思える。事実ナチ党内でオルフの評価は分かれていた。ナチス期のドイツ人音楽家とナチスとの関係を暴いたカナダの歴史家マイケル・H・ケイターの「第三帝国の中のカール・オルフ」という論文によると、オルフは、‘ 「退廃音楽家」から影響を受けている ’、として批判するナチス幹部は少なからずいた。また世俗的詩歌である『カルミナ・ブラーナ』の歌詞の不道徳な内容も問題になり、例えば、皆さんもよく知っている指揮者のカール・ベームはドレスデンでの同曲の初演を断っている。しかしナチスは結局『カルミナ・ブラーナ』の上演を禁止しなかった。一体何故なのか。


ここでその理由はオルフ自らナチスに積極的に協力したからではないか、という疑惑が生まれる。確かにオルフはナチスに関わっていた。先のケイターの論文によると彼は1936年にナチス主導の下の開催されたベルリン・オリンピック用に『オリンピック輪舞』という舞踏作品を書き、実際ギュンター学校の生徒にオリンピックで踊らせている。他にもユダヤ人作曲家メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』に代わる作品を作れ、というナチスの要請に応えて、代作も書いている。しかしオルフ本人は――たいていナチスに関わった当時の音楽家の多くがそうであったが――第二次世界大戦後、ナチスへの関与を否定し、むしろ自分は「白バラ」と呼ばれるミュンヘンでの反ナチ活動に協力していたとまで主張したのである。
一体オルフがどこまでナチであったのか、それは結局現在でもはっきりしていないし、ここではこれ以上突っ込んでも意味がない。むしろ私がケイターの論文を読んで気になったのは、‘ 自発性 ’に重きを置いた自分の音楽教育をヒトラー・ユーゲントなどヒトラー体制下の青少年教育に取り入れてもらうよう、自らナチスに働きかけを行った、という記述である(結局失敗に終わったのだが)。
ナチスの目指す教育観とは、ずれるように思われる教育を売り込もうとしたオルフの行動は一見奇妙ではないだろうか?さらに奇妙なのはナチス内にも彼の支持者がいたことである。それはヴィルヘルム・ツヴィッテンホフ博士(Dr. Wilhelm Twittenhoff)という人物。突撃隊やヒトラー・ユーゲントで働いていたナチ党員である。彼はオルフの‘ 自発性 ’を重視する音楽教育に共感し、彼に『教育音楽』という作品の作曲を委嘱し、出版にまでこぎつけている。何故彼はオルフを信奉し、協力までしたのか?
これについてはケイタ―も示唆しているが、ツヴィッテンホフが若い頃、「青年運動」 に参加していたということに関係があると思われる。


「青年運動」とは20世紀前半、ドイツ人学生が‘ 自発的に ’生み出した学生運動である。
「青年運動」という名にピンとこない人も「ワンダーフォーゲル」というのは聞いたことがあるだろう。若者が一緒になって郊外や山中でハイキングやキャンプを楽しむというあの活動は、実は青年運動から始まったのである。まだドイツが第二帝政の時代に( 第一帝政は神聖ローマ帝国時代、第二帝政はドイツ帝国時代で第1次大戦終結頃、そしてワイマール時代、第三帝政はヒトラー時代。) 青年運動はそもそも19世紀以降、産業革命で発展した都会の合理的で機械的な生活に倦んだ学生が、大人の束縛から逃れ、‘ 自然の中で人間本来の生活を取り戻そう ’として行った運動であった。だからこそ、ワンダーフォーゲルのような活動も始めたのだ。ここで、彼ら「青年運動」の理想とする「人間本来の生活」という理想が先に見たオルフの音楽理念と繋がることが分かる。ツヴィッテンホフ博士は若かりし頃のそうした体験をし、それを踏まえてオルフの音楽活動に協力したのである。



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ワンダーフォーゲル運動の若者たち


だがまだ疑問が残る。ではそうした ‘ 人間本来の自由な生活を尊ぶ青年運動 ’ 出身の男が何故ナチスに入ったのか。ここで私たちはナチスが当時のドイツの青少年を魅了した理由を考える必要がある。そこで重要なのは青年運動の掲げた「人間本来の生活」という理想の意味である。それは少々難しい言葉でいえば一種の「近代批判」である。物質的な進歩と共に人間の精神もまた進歩する、という近代の考えに反発していたのは、だが青年運動やオルフだけではない。実はナチスもまた目指すべき方向性こそ違え、「近代批判」を行っていた運動の一つであった。

この問題は単なる抽象的なレベルだけでなく、具体的なレベルでも考える必要がある。
第一次世界大戦終結後からナチスが台頭し1933年に政権をとるまで、ドイツは「ワイマール時代」とよばれていた。この時代にドイツでは近代的進歩が一層進んだことをドイツ史家のD・ポイカートは明らかにしている。すなわち議会制民主主義と大統領制が立法で保障され、憲法に「人間らしい暮らし」を保障した社会権が明文化され、社会保障政策が進められた。文化的にはアメリカの文化が流入し、ジャズや映画が流行した。こうした近代的な生活はしかし長く続かなかった。
それ以前から危機の兆候はあったのだが、1929年以降の経済恐慌で決定的にドイツ人の市民生活は痛めつけられ、ドイツ共和国は危機に瀕した。当時のドイツ人人口100万人当たりの自殺率は他の欧米諸国に比べてずば抜けて多かった。また若者は他の世代と比べ失業率も高く、職もない彼らの人生設計は狂わされてしまった。一方で議会制度は党派争いで機能しなかった。こうしたことによって自分たちの今まで信じてきた近代的価値観を疑い始めた多くの若者が、ワイマール体制の打倒を掲げるナチスへと流れていったのである。ポイカートによるとナチスは他の政党の比べ若年の党員が多い「若い政党」であったという。ツヴィッテンホフもまたそうした若者の一人なのかもしれない。


こうして改めてオルフとナチスの関係を考えると、オルフが自らの教育をナチスに受け入れてもらおうとした、というのは実は意味深長なことかもしれない。両者は方向性は違うが、「ワイマール体制という近代」に反発しつつ独自の理念を形成していったことでは同じであるからだ。表面的にはナチス体制に反感を持ちながら、根本的なところでナチスとの親和性をオルフは感じていたのからこそ、戦前ではナチスへの協力をあえて拒否せず、またむしろ教育面では積極的にナチスの援助を期待していたのではないだろうか。一方、ナチスもまた彼の音楽に胡散臭さを感じる人間もいたにせよ、結局『カルミナ・ブラーナ』の演奏を許し、彼を受け入れたのはこうした「反近代」という共通性を同様に感じていたからかもしれない。そして両者はまたツヴィッテンホフのような「青少年」という存在によっても媒介されていたのである



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第21曲「天秤棒に心をかけて」、第23曲「とても、いとしい方」 
ソロはグンドラ・ヤノヴィッツ。
とても美しい歌だが歌詞の内容は乙女の浮気心に揺れる心情を歌ったもののようだ。





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