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2013.05.01 (Wed)

ワーグナーは「音楽による革命家」か

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 引き続きクラシック万歳!!




イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。

      
                   
ヴァーグナー指揮者として著名なハンス・クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるヴァーグナーの歌劇「ヴァルキューレ 」から「ヴァルキューレの騎行」(1953)




「彼は明らかに政治運動に取り憑かれていた。(中略)ヴァーグナーは政治のかたまりだった。彼は革命の勝利に、芸術と社会、宗教の完全なる再生を、そして新たな劇場と新たな音楽を期待していた!」

19世紀の音楽評論家エドュアルト・ハンスリック/吉田寛著『ヴァーグナーの「ドイツ」』




今年はヴァーグナーの生誕200周年ということもあり様々な場所で彼の音楽を耳にすることが多い。しかし考えてみるとヴァーグナーの作品にはある謎がある。彼の作曲したオペラ――とはいっても本人はこれらの中であるものを「オペラ」といったり「舞台神聖祝祭劇」と呼称したりするなどややこしいのだが――の題材を見てみよう。「ローエングリン」「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」そして「パルジファル」。これら全てはドイツの神話、あるいは各地の中世の伝説を題材にしているものである。しかし「トリスタンとイゾルデ」など中身は男女の恋愛を描いたものなのだからわざわざ中世を舞台にしなくてもよさそうな気がする。対してヴェルディは「椿姫」などきちんと彼の同時代を舞台にした作品を残している。ヴァーグナーの作品にはもうひとつ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」というのがあるが、これも時代設定は中世であり、マイスタージンガーとは当時ドイツの各地の宮廷で歌ったという「吟遊詩人」が都市に居住し職人歌手となった者を指す。また舞台のニュルンベルクは今でも中世の面影を色濃く残す町である。何故ヴァーグナーはこんなにも昔の時代が好きなのか?彼の個人的趣味なのだろうか?しかし当時のドイツにおける彼の高い名声を考えるとそれだけでは説明できそうもない。そして矢張り当時のドイツ人も昔の時代を好んだのだった。ではその理由とは何なのだろうか。

一つの説明は当時の「ロマン主義」の潮流である。簡単に言ってしまえば、「啓蒙主義」という‘ 科学の進歩や人間の理性の発達など物事は全て前に向かって進むものだ ’という今でもよく見られる普遍的かつ発展的な物の見方に反して、ロマン主義とはこの様な‘ 「科学」的なものの見方や態度に対抗し、個々人の「直観」や「感情」または「文化」などに価値を置く考え ’の事である。詩人のハイネやバイロンなどはこれに入り、クラシック音楽の世界でもベートーヴェン以降から20世紀までの音楽を「 ロマン派音楽 」と呼ぶことは周知のことと思う。当時ロマン主義者らはしばしば非合理的な文化や価値観を称揚するという意味で、まだ文明化されていない時代 である中世を賛美する傾向があった。ヴァーグナーもまたその一人として解釈することができるのである。

だがロマン主義というのは本来、一部の芸術家や知識人の間で共有されていただけものだったのだが、それが何故時代を経るに従い、多くのドイツ市民に受け入れられるに至ったのか。それを考える為には、当時のドイツの大きな社会的な変化を視野に入れる必要があるかもしれない。




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リヒャルト・ヴァーグナー(1813~1883)





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ドイツ・ロマン派を代表する画家カンパー・ダヴィッド・フリードリッヒ(1774~1840)の作品
「山上の十字架」





イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



フルトヴェングラーとウィーン・フィルによる「タンホイザー」序曲(1952)




ヴァーグナーの生きた19世紀のドイツ社会では「産業革命」「国家統一」という二つの大きな社会変革があった。
前者は、工業地帯のルールやベルリン、ライプツィヒやシレジエン等各地で鉄鋼・科学・機械などの工業が発展し、最終的には英仏に追い付き米国と共に新興工業国になった。
後者ではウイーン体制で政治的にはバラバラになっていたドイツを統一しようとする「ナショナリズム」の動きが高まり、数々の屈折があった後1871年にプロイセンの主導でドイツ帝国が成立した。



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ドイツを代表する化学メーカーBASFの工場(1881)


こうして上べだけを見ると19世紀はドイツ人にとって輝かしい時代と思える。しかしこれだけの変化を短期間で行ったために当然様々な面で歪みが生まれた。‘ 産業革命 ’に於いて特に影響を受けたのは「 中間層 」と呼ばれる人々だ。(これは一般に想定されているホワイトカラーだけでなく、農民や手工業者も含む広い概念である。)
まず農民はプロイセンなどでは19世紀前半に出された「 農奴解放令 」によって土地や領主に縛れらず自由な移動・転職・土地の転売が許されるが一方、彼らのうち多くは実際は土地を持つことが出来なかったため、都会に出て工場労働者になった。彼らは「賃貸兵舎」とも呼ばれた狭く劣悪な居住環境で暮らし、低賃金で過酷な労働に耐えた。正しくマルクスが資本家に搾取された「 プロレタリアート 」(賃金労働者)として描いた人々である。
プロレタリアートになったのは農民だけではない。手工業者もまた――19世紀以前は独占的な生産組合であるギルド制を築いて、‘職人’として独自の社会的地位を誇っていたのだが――産業革命により、大規模な資本と工場経営に基づく大量生産・大量消費の時代の中で次第に力を失い、職人から単なるプロレタリアート(賃金労働者)へと地位を下落させたのである。
こうした彼らプロレタリアートを中心とする貧困層の出現は「大衆的貧困」と呼ばれ社会問題となっていく。彼らは労働組合を組織し資本家と対立を繰り返した。

一方「国家統一」も一筋縄ではいかなかった。将来の国制について議会制民主主義や社会主義、君主独裁などをそれぞれ主張する勢力が激しく抗争していた。結果的にはドイツ帝国の宰相ビスマルクが折衷的な君主中心でありながら議会政治もとリ入れた形態にしたということはよく知られている。また将来のドイツ国家を現在のドイツだけに限定してしまうのか、それともオーストリアも含めるのかという「小ドイツ主義」と「大ドイツ主義」の対立も存在したが、そもそも「ドイツ人」というのは、ドイツ、オーストリア、スイスなど中欧のドイツ語圏だけでなく、ポーランドやルーマニア等東欧にも散在していた。彼らをどうするのかという問題は後に成立したドイツ帝国は解決できないでいた。こうしてみると19世紀のドイツは社会的には大きな変動の中で階級間の分裂が進み、政治的にも様々な局面で対立が先鋭化した時代であったといえる。

こうした混乱状態に直面して人々はこの混乱を引き起こした原因すなわち産業革命などの「近代化」を非難するようになる。その受け皿として「 ロマン主義 」が人々の間で力を持ったのである。ここでヴァーグナーの人生に置き換えて考えてみよう。

ヴァーグナーは若い頃は、先程述べた啓蒙主義的な考えに染まり、当時文明・文化の最先端であったパリに出て成功を収めようと考えた。しかしそこで彼は、他の著名な音楽家からは全く相手にされず大きな失望を覚えた。またフランスの音楽文化にも違和感を覚えるようになったという。すなわち社会では何でも市場と競争原理が幅を利かし、音楽でもその本質よりも流行や形式を重視する音楽家が多い、と彼は難じる。しかしそれで彼が完全に啓蒙主義を捨てたわけではなく、しばらくは政治的な革命運動に乗り出すなど、どちらかというと「革新派」であった。その彼を変えたのは1848年に勃発したドイツ三月革命である。前の「まやかしとしてのラデツキ―行進曲」の項で触れたので詳しくは書かないが、旧体制的な君主独裁に対抗し立ち上がった民衆に当時ドレスデンにいたヴァーグナーも参加したのだが、革命は失敗し彼はスイスでの亡命生活を余儀なくされた。
失意の彼は政治的な革命から「音楽による革命」を目指すようになる。ここで彼独自の音楽芸術論が顔を出す。吉田寛氏の研究によれば、ヴァーグナーの考える同時代の音楽の本質とは、彼がパリで接したものであるがごとく「産業でありその倫理的目標は金儲け」である。我々はこれに対し「革命」を起こさなくてはならないと彼は論じる。だが問題はその革命の内容である。彼は政治的には自由で平等な人間の確立を唱えながら、音楽的には「古代ギリシャ劇」の理想に立ち戻るべきだという。現代のようにそれぞれが分割されていたり、オペラのように音楽が全体の主導権をもつような形とは根本的に異なったものでありそこでは「詩・音楽・舞踏」が一体となっており、これを彼は「総合芸術」と呼んだ。
ではこうした‘ 古代ギリシャの理想 ’を蘇らせる人間は誰なのか?まずそれは啓蒙主義かぶれした知識人には無理だとヴァーグナーは言う。彼はさらにフランス人、イタリア人、それにユダヤ人にも無理だと結論づける(どうもここから彼の議論が怪しくなる)。それができるのは文明化に毒されず、ユダヤ人のような「 漂泊の民 」ではなく地に足のついたドイツ「 民族=民衆 」だけである。(ドイツ語では「民族」を意味する「Volk」は「民衆」という意味も含意している)またそうした改革を行えるのは文明から「 遅れてきた国 」である「ドイツ」を措いて他にない。つまりヴァーグナーは彼の信じる理想郷をドイツに投影し、自分の理想は「ドイツ精神」そのものだと喝破したのである。
ヴァーグナーはこうした思想を歳を重ねる毎に急進化させていき、「反ユダヤ主義者」の異名までとられるようにもなっていくのである。後にはバイエルン国王ルートヴィッヒ2世に支援を得ることで権力の側についてしまい、いつのまにか「革命家」から「国家主義者」へと変貌してしまった。ただし晩年には「ドイツ民族に真のドイツ精神を植え付けるための殿堂」であるバイロイト祝祭劇場の建設の支援をさっぱりしてくれなかったドイツ帝国政府に失望し、ヴァーグナー曰く‘真のドイツ精神を体現している’という当時の米国やロシア、果てはインドにまで思いを寄せるようになったという。

ここまでのヴァーグナーの音楽思想をまとめると、近代化による社会の歪み(音楽もまたその影響を受けている!)を是正するには、彼の創造する新しい音楽によってドイツ人の「内面」に革命を起こすことが重要である、ということになる。そうした音楽に取り上げられるべき題材とは?――当然まだ文明化の影響を受けていない、自然や純朴さが残る時代、人間本来の姿が描かれる世界すなわち古代や中世となるのである。また「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は職人を題材とする作品であるが、彼らの産業化による社会的な地位下落を受けて、この作品を一種の古き良き「理想」としてヴァーグナーが描いた可能性がある。ここに一つの逆説が生まれる。すなわち「革命 」という本来革新的な出来事と、文化や歴史といった伝統的・保守的とみなされるものが共に手を携えていることである。これは何もヴァーグナーの思想に限ったことではない。後のナチスは右翼的なイデオロギーを掲げながら自らの思想を国民「社会主義」と称していたのだから。
ヴァーグナーの音楽に潜む影。それは近代化に対する「反近代主義」の思想であり、右翼ラディカリズムという一見矛盾した思想ながら、近現代ドイツ史の底流を流れるものに他ならないのではないか。



ヴァーグナーの「ドイツ」―超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえヴァーグナーの「ドイツ」―超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ
(2009/10)
吉田 寛

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ヴァーグナーの難解な音楽・政治思想を当時のドイツ・ナショナリズムとの関連で分かりやすく説明した書。



※画像はWikipediaより転載


(門前ノ小僧)




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