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2014.08.21 (Thu)

ストラヴィンスキーの『春の祭典』と第一次世界大戦

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 引き続きクラシック万歳!!



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



ストラヴィンスキー「春の祭典」 ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団


アメリカの指揮者ティルソン・トーマスは、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めているが、単に演奏活動だけではなく、Keeping Scoreというクラシック音楽の啓蒙、普及活動を展開している。――KEEPING SCORE(キーピング・スコア)とは、あらゆる年代、あらゆるバックグラウンドの 人にクラシック音楽をより親しみやすく、意味のあるものにしようという、2004年から サンフランシスコ交響楽団が展開している一大プロジェクトである。 一つの番組でオーケストラの作品を一曲づつ取り上げ、音楽的な解説とともに歴史的な背景の解説を加えているので、我々日本人にとっても、楽しみながらクラシック音楽を聴きかつ英語の勉強にもなるという一挙両得の誠に結構なものである。ティルソン・トーマスの話す英語は、明瞭で聞き取りやすく、You tubeでは英語の字幕は機械が行う自動字起しとなるが、市販のDVDを購入すれば、英語字幕が出るように設定できる。また、PBS(アメリカの公共放送サービス)のHRから進めば、英語字幕付きの無料動画を視聴することが出来、リスニングのよい教材にもなり得る。( 英検にすれば、2級から準1級程度 )

Keeping Scoreは、音楽の歴史の中で転換点となる諸作品を取り上げている。その中で今回は、ストラヴィンスキーの『春の祭典』に注目したい。もちろん誠に解りやすく曲の解説が為されているために、それに何かを付け加えようという訳ではない。それよりも、なぜ今『春の祭典』なのかと言えば、今年2014年は第一次世界大戦勃発から丁度100年目であると同時に、『春の祭典』の初演から101年目に当たるからである。つまり、『春の祭典』初演の翌年に第一次世界大戦が始まったのである。

『春の祭典』と第一次世界大戦との間には何か関係があるのか。ティルソン・トーマスは特に関係があると言っているわけではないがこのヴィデオの冒頭で語っている、「文化や芸術などの嗜好における革命 が、社会での他の(政治的、社会的な)暴力による変化の ‘予言’ にしばしばなっているのは、『春の祭典』の場合に正に見られる通りです。」という言葉は、カナダの歴史家エクスタインズの著作『春の祭典』を踏まえてのものであると推察される。(前者の放送が2006年、後者の出版が1989年)
エクスタインズは、ストラヴィンスキーの『春の祭典』の持つ芸術としての革命的な新しさが、第一次世界大戦をきっかけとした西欧での精神上の大転換の ‘予言’ となっていると説いたのである。
 『春の祭典』の音楽面での革命的な新しさとは、ティルソン・トーマスのヴィデオで詳細に解説されているが、その工夫の一つ一つは、この曲が大地の礼賛と生贄の儀式の二部から成る事からも分かる様に、キリスト教以前の異教の世界(土俗的な多神教など)を出現させるための仕掛けとなっている。




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ニジンスキーの元の振り付けの台本は残っておらず、これは彼のメモ等を元にして復元したもの

 
このことは、『春の祭典』のバレーを見れば音楽だけを聴くよりもより明らかになるかもしれない。もともとは『春の祭典』は、ディアギレフ率いるロシアバレー団のバレー上演の為の音楽であった。このロシアのバレー団は、ロシアではなくフランスのパリを本拠地とし、ロシア風の異国趣味を売り物にしており、ストラヴィンスキーの前作、『火の鳥』や『ぺトル―シュカ』の二曲もその範疇に入ると言えるが、『春の祭典』は単なる異国趣味ではない新しさ、伝統を破壊し文明以前の野蛮に戻る過激さを持つ。
『春の祭典』では、当時このバレー団の天才ダンサーであったニジンスキーが振付を担当したのだが、彼は、自らが踊っていた際に賞讃の的となっていた高い跳躍や肉体美をここで用いる事をあえてせずに、舞台を踏む‘ 下向きの動き ’を中心とした振付を、体の線が全く見えないゆったりとした服を着せたダンサーたちに施したのである。同国のロシアバレーに於ける『白鳥の湖』との違いを考えれば、この斬新さは明らかだろう。
 
この芸術面での革命性は、作品が異教の世界を表現するものであることからも分かるように、単に芸術的な意味を持つだけではなく、宗教的、道徳的な意味も持つ。エクスタインズの本が明らかにするように、この作品は、伝統的なキリスト教的な道徳上の羈絆を脱しようとするこの時代の趨勢に合致するものであり、その尖鋭な表現となっている。初演はブーイングの嵐となり、果ては殴り合いまでをも惹き起したという有名なスキャンダルとなったのも宜なるかなである。ストラヴィンスキー、また、ニジンスキーのこの試みは、頽廃の極に達したフランスの文化に一石を投じた、というよりは爆弾を投げつけたとでも言える程の衝撃ではなかったか。

政治上では、この二人に相当するのが新興国ドイツである。第一次世界大戦とは、ドイツ人にとって、旧弊に囚われた老大国イギリス・フランスに対し、深い精神性と科学的合理性を備えた清新なるドイツの挑戦であったともいえる。このように戦争を意義づける第一次大戦の開戦当初のドイツ人の熱狂振りをエクスタインズの本は伝える。
しかし、話はここでは終わらない。ドイツの快進撃も止まり、両陣営が塹壕に留まり、劣悪な環境の中で双方の死者の数が増えて行くだけの陰惨な戦場の中で、開戦時の熱狂、そして、騎士道精神は消え去り、幻滅と絶望が兵士たちを襲う様を、日記や手紙を引用しながらエキスタインズは詳細かつ克明に描写している。そして戦後になってもこの精神への打撃から完全に立ち直ることが出来ない…何故なら、戦前に持っていた信仰・道徳・理想などの、その心の空白を埋めるものが見出せなかったからである。
大戦後、新たなる英雄として飛行機による大西洋単独横断を成し遂げたリンドバーグへの熱狂は、この空白を埋めようとする試みに他ならない。もちろんこれで解決されるはずはなく、その空白を埋める者として登場するのが、ヒトラーであり、ナチズムである。それは、単なる政治運動ではなく、疑似宗教であり、美がそこでは追求されたとエクスタインズは語る。
エクスタインズは幼少の頃ラトビアからナチの迫害を逃れてカナダに移住したユダヤ人であり、ナチズムを深層において捉えようとしたのであろう。参照する資料は膨大であり、記述は委曲を尽くすものとなっており、読書中にしばしばその時代を生きているかのような感覚を持つことが出来る。それと同時に色々と考えさせる本でもある。

以前紹介したことのある『二十世紀思想渉猟』の著者生松敬三は、第一次世界大戦後の1920年代のドイツに見られた諸現象と、第二次世界大戦後の特に1960年代以降の我が国のそれらとの類似性に注目したが、戦争への熱狂、幻滅、精神の空白という現象は、第二次世界大戦時及びその後の我が日本国も同様に経験したものでなかったか…。
それらの比較を通じて現れる類似と相違はどのようなものになるのだろう。また、その際にストラヴィンスキーの『春の祭典』に相当するものはあるのか。この点だけは、見当たらないのではないのかというのが現在の憶測である。

(ネモローサ)



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