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2018.08.02 (Thu)

ショスタコーヴィチ戦争の終わり?

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 引き続きクラシック万歳!!



 ショスタコーヴィチの証言

今更紹介するほどもない有名な本である。それまで社会主義体制下で生きることを通じて得られる「歓喜」を描いているとされていた交響曲第五番でのフィナーレを、一転、「強制された歓喜」と呼び、それを含めて社会主義賛美であるとされていた彼の交響曲について、「わたしの交響曲は墓碑である」と述べるこの本は、それまでのショスタコーヴィチ像を180度転換させるのに十分な衝撃を西側世界に与えた。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第5番 4楽章
モスクワ市交響楽団
指揮ドミトリー・ユロフスキー



朝鮮戦争は、休戦協定は結ばれたものの平和条約が未締結なまま、今なお継続されていることが話題となったが、実は休戦協定にさえ至らず、三十年以上も続いている「戦争」が存在する。
もっとも、これは、「ショスタコーヴィチ戦争」とも呼ばれる‘論争’の事であり、一方の側の当事者である音楽学者タラスキンは、昨年度音楽分野での京都賞を受賞している。(因みに同部門での受賞者はメシアン、ケージ、ルトスワフスキ、クセナキス、リゲティ、アーノンクール、ブーレーズ、セシル・テイラーという大物中の大物ばかりである)。
タラスキンは、オックスフォード大でその記念講演を行い――「スターリン賞の取り方(How to win a Stalin Award)」そのアブストラクト――論文の要旨には「冷戦も終わった今、・・・多くの識者は「ショスタコーヴィチ戦争」の休戦を求めている」との文言が記されている。しかし、この講演を聴く限り、この戦争は終わらない・・・少なくとも、当事者間での「休戦」は無理であると思われる。

さて、「ショスタコーヴィチ戦争」とは何か。

ショスタコーヴィチは、様々な意味で今は消滅した‘ ソ連 ’を代表する音楽家である。かつてはショスタコーヴィチと言えば‘ ソ連の体制派 ’の音楽家の代表であった。例えば、彼が作曲した十五曲の交響曲中最も有名な第五番は、「革命」とも呼ばれ、社会主義体制を讃える曲であると看做されていた。だが、現在そのように考える人はまずいない。むしろ、‘体制の受難者 ’の典型であったという意味の当時のソ連の代表者であると考えられている。
このような「転換」を齎したのは1991年のソ連の崩壊ではなかった。それに先立つ10年以上前の1979年に米国で出版された『ショスタコーヴィチの証言』がそれを惹き起こしたのである。


『ショスタコーヴィチの証言』は、晩年のショスタコーヴィチが若き音楽学者ヴォルコフに語った言葉をヴォルコフが編集し、ショスタコーヴィチ自身がその内容を確認した後、その原稿は密かに西側に持ち出され、ショスタコーヴィチの死後、米国に亡命していたヴォルコフがその英訳を出版したというのが、ヴォルコフの説明である。
出版と同時にソ連当局は、それを贋物だと述べ、家族や知人にもそう言わせたのは、当然予想される反応であり、そのことは信憑性を揺るがすものではなかった。早くも出版の翌年、米国の音楽学者フェイは『証言』に疑義を呈し、その後、タラスキンが彼女に加勢をし、‘『証言』は贋作だとする ’反ヴォルコフ勢の大将となった。

他方、ヴォルコフ自身は、直接の反論を為さず、代わりに最近邦訳もされた『ショスタコーヴィチとスターリン』を著した。反ヴォルコフ勢と剣を交えて戦ったのは、実際は他の人々である。

ウェブには、この「論争」に関係する情報が、とにかくたくさんあり、どれをどう見れば良いのやら途方に暮れるが、ヴォルコフ派の闘将の一人、故イアン・マクドナルドが運営していたサイト、Music under Soviet Rule(http://www.siue.edu/~aho/musov/musov.html)には、2000年4月までの論争のまとめもあり(彼が亡くなったのは2003年)、当然ヴォルコフ派の主張を知ることも出来て便利である。このサイトは以前から気になっており、偶々最近その一部を読んで感心していた一方、先ほど紹介したタラスキンの講演をYouTubeで見たのだから、最初に述べた私の感想も、ヴォルコフ側に偏ったものである。広く文献を渉猟した専門家の意見を聞きたい所だが、どこにそれがあるのやら、今はマクドナルドのサイトで感心した所をまずは綴っていきたい。

『証言』の真贋は論争の発端であり、今もそれは争われている。しかし、ショスタコーヴィチもヴォルコフも亡き人となった今、真相は幾ら求めても得られるものではない。
それよりもむしろ問題なのは、先程述べたショスタコーヴィチ像の「転換」に、何故『証言』という書物が必要だったのかという問題である。つまり、『証言』の出版以前は、ほとんどの西側の人間は、見れども見えず、明き盲の状態にあった訳で、何が解っていなかったからそうなってしまったのかということの方が大切だと私には思われるのである。そう考えていた私にとっては、イアン・マクドナルドのThe Question of Dissidence という文章はまことに納得の行くものであった。

その冒頭で彼は、『証言』の真贋は論争の本質ではないと明言する。(彼の著したThe New Shostakovichの改訂版では盟友HoとFeofanovに従って真作説を取っているが、初版では『証言』はヴォルコフの創作だという前提の上で議論を進めている)。

『証言』から浮かび上がるショスタコーヴィチ像は、当時のソ連の音楽家たちの多くが共有するものであったのであり、だからこそ、出版当時すでに西側に亡命していたアシュケナージやコンドラシンらの音楽家たちはそれを真作だと看做したのである。
つまり問題は、ソ連政府当局が喧伝し、それを西側の人間も信じていたショスタコーヴィチ像が正しいのか、それともソ連国内で密かに、しかし広く音楽家そして聴衆が、漠然と抱いていたショタコーヴィチ像が正しいのかという争いなのである。後者が正しければ、たとえ『証言』がショスタコーヴィチによるで書物ではなく、‘彼に関する書物’であっても、――つまり、「証言」としては贋物であったとしても、そこに描かれた、体制への迎合者とは全く逆の、その批判者・反抗者(dissident)であり続けたというショスタコーヴィチ像は「真実」となる。考えるべきは、彼が、ソ連体制の批判者であったか否か、そして、彼の音楽をそのような体制に抗する音楽として聴くべきか否かである。



ソ連の水爆の父原子物理学者サハロフ、そして小説家ソルジェニーツィンは、ソ連体制を公然と批判し、弾圧され、更にソルジェニーツィンは国外に追放された。しかし、それだけが批判者としての在り方なのだとしたら、西側にも知られる「有名人」であるが故に生命を奪われることはなかった二人とは違い、西側からの援護を期待できない無名の一般人はどうすればよかったのか。更に、この二人がそのような批判が出来たのも、スターリン亡き後だったからである。有名無名を問わず、そうした援護が全く期待出来なかったスターリン時代にはどう処すればよかったのか……体制に迎合する他なかったのか。

1934年に初演されたたオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ソ連国内のみならず世界各地で上演され好評を得て、ショスタコーヴィチは、新生「 ソビエト社会主義共和国連邦 」が生み出した初めての本格的なオペラの作曲者としての栄光を手にした。しかし、1936年1月、時の権力者スターリンを観客に迎えて行われたモスクワ公演の二日後、ソ連共産党機関紙『プラウダ』紙上、スターリンの口調を思わせる文体の論評記事の中で、このオペラは「音楽ならざる荒唐無稽」であると評された。
この評言は単にショスタコーヴィチの名声を危うくするだけではなかった。この1936年秋から始まり、翌1937年に本格化する、スターリンによる大粛清は、政治家や軍人だけではなく、全てのソ連国民を巻き込むものであり、如何なる意味であれ党に反するとの嫌疑をかけられた者は、逮捕され、その多くは処刑され、また、収容所送りとなった。『マクベス夫人』批判に際してショスタコーヴィチを擁護した、赤軍の英雄トゥハチェフスキーも、世界的な高名を得ていた演出家メイエルホリドも、逮捕され、惨たらしい拷問の後、処刑された。ショスタコーヴィチは生命の危機の淵に立たされたのである。


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「スターリン賞の取り方(How to win a Stalin Award)
この講演には、YouTubeでの日本語の同時通訳版もある。
が、英語版の方でついていけない所だけ聴くというように使った方がよいと思われる。通訳の方には失礼になるかもしれないが、言語だけではなく、内容の学習も大切だと考えさせられる翻訳であるので。



彼は、『マクベス夫人』と同様に、‘ 不協和音に満ち、いびつな構成を持つ ’交響曲第四番の初演を断念し、スターリンがかねてより提唱していた‘ 「社会主義リアリズム」に沿う ’交響曲第五番を作曲し、無名の新人であったムラヴィンスキーを指揮者として1937年に初演し、その「改心」を認められるのである。
更に、1940年に作曲したピアノ五重奏曲は、第一回スターリン賞の第一位を獲得した。
「社会主義リアリズム」によれば、芸術は広く人民に理解されるものでなければならず、歴史は共産主義の理想に向かって進むという世界観に沿ったオプティミズムを基調とするものでなければならなかった。

このような基準に照らせば、当時の前衛芸術は、頽廃したブルジョワジーの自己満足のための音楽に過ぎないとされ、『マクベス夫人』もそのような音楽として断罪された。そして、交響曲第五番は、そのような「形式主義」的な音楽という逸脱から「社会主義リアリズム」という正しい道への軌道修正として、共産党に容認された訳である。
他方、この事は、一部の西側の人間の目には、芸術家としての屈服と恥辱として映った。
だが、ソ連国内の人間、特に、この曲の初演を、全員が既に最終楽章が演奏されている中で起立し、その終わりを鳴りやまぬ拍手喝采で迎えたレニングラード市民は、どのようにこの曲を聴いたのだろうか。葬送の曲と聞こえる第三楽章では聴衆の間に嗚咽が広まり、それが最終楽章での熱狂に結びついた。彼らは、何をそこに聴いていたのだろうか。


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ティルソン・トーマスによる、「交響曲第五番」についてのKeeping Scoresから。これは第四部だが、そこでの第三楽章の分析は、なるほどと納得させられる。更にこれに続く第五部では、問題の第四楽章について、それが「強制された歓喜」を表現するものであることを証明する興味深い「実験」が行われる。それは、DVDを購入して視聴する他ないのだが、そこでの全曲の解説、また、演奏もそれに十分値するお薦めのDVDである。

彼らには、ショスタコーヴィッチと同様に、家族、親戚、友人の中にスターリンによる粛清の犠牲者がおり、自らも恐怖の中で生活していた。特に第三楽章は、その悲しみ、苦しみに共感する音楽であるからこそ、彼らの感動を惹き起こした。そして、革命の勝利の歓喜を表現するとされた第四楽章には、実は様々な‘仕掛け’が施されており、今もなおその‘意味’を多くの音楽学者が解明しようとしており、単純に喜びを表現する音楽とは程遠いものである。
もちろん当時、聴衆はその‘工夫’を知る由もなかったが、それが単純な歓喜の音楽ではなかったことだけは理解したはずである。



「ショスタコーヴィッチ戦争」の話に戻れば、ショスタコーヴィッチがこのような危険な賭けを行ったということを否定する者も多くいるらしい。しかし、各種の引用に満ちた工夫の存在を否定することは学者には出来ない。表向きの意味とは異なる裏の意味を持つ「イソップ的言語」をショスタコーヴィッチがここで用いている事実は、反ヴォルコフ派の主将であるタラスキンも認めている。
さらに、彼は、この交響曲に大粛清時代の「抑圧された悲しみ」を聴き取っている('Public lie and unspeakable truth interpreting Shostakovich's fifth symphony' in Shostakovich Studies 1195)。初演時の聴衆の反応を考えてもこれが妥当な解釈である。
しかし、タラスキンはそこに「反抗」の要素を認めない。タラスキンによれば、ショスタコーヴィチは、「不正と政治的抑圧を憎み、社会への関与と民衆との連帯を高く評価する」‘ロシアの伝統に則ったインテリゲンチャ’であり、‘体制の批判者(dissident)’とは異なる「『市民的な』芸術家("civic" artist)」であると言う。('Who was Shostakovich?' The Atlantic Monthly, February 1975、Defining Russia Musically1997でもこの文章は使われているとのことである)。
だが、マクドナルドによれば(The Question of Dissidence) このような「インテリゲンチャ」は、19世紀のロシアにも、20世紀のソ連にも存在しない。19世紀のインテリゲンチャは、帝国政府への反抗をその本質的要素として持っていたし、20世紀になってからは、レーニンが、非ボルシェヴィキであり自らの敵である知識人を「ブルジョワ・インテリゲンチャ」と呼んでいたが、それが「ブルジョワ」を省略して「インテリゲンチャ」と呼ばれるようになったので、つまり、「インテリゲンチャ」とは、いずれにせよ体制への反抗を意味する言葉なのである。そして、ショスタコーヴィチは、この正しい意味での「インテリゲンチャ」なのである。

もちろん表立って体制批判、スターリン批判の言葉を口にする訳には行かない。仲間内でそれをした場合でさえ密告によって逮捕されるのが日常茶飯事であった時代である。しかし、言動に表さなかったと言って、反抗は存在し得ない、精神まで屈服させられていた、などと考えるのは人間性への侮辱である。あらゆる批判の言動が弾圧の対象となったスターリン時代にあっては、批判は存在しなかったと断ずるタラスキンの考え方はまさにこの侮辱となっており、マクドナルドが彼を批判するのももっともである。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します



スターリンの演説をYouTube で探していたらこんなものを見つけた。五ヶ年計画の成功を喧伝するプロパガンダ用のアニメーションであり、ソ連を批判する資本家たちが醜悪に描かれているが、その醜悪さは作り手のそれを反映していると思わせる仕上がりとなっている。


さてそのタラスキンが講演で述べた「スターリン賞の取り方」とはどんなものなのか。マクドナルドの文章を読み直した直後に偶々この講演をYouTubeで視聴した私には、マクドナルドがタラスキンを批判し続けた所以が分かる気がする。
タラスキンによれば、要は、ショスタコーヴィチが迎合したから栄えあるスターリン賞を受賞したということになる。1940年作曲のピアノ五重奏曲において、ショスタコーヴィチが社会主義リアリズムの求める古典的な形式を守ったこと、そして、スターリンがヒトラーとの協力をし始めて世界を驚かせた時期にあって、ドイツ的な趣を備えさせたことを受賞の原因に挙げている。そして、悲劇的な始まり方をしたこの曲が明るい長調で終わるこという事実を、ショスタコーヴィチが、スターリンの「生活は改善された」という言葉を思い出し、それに沿うように曲を完成させたからだと述べる。
よりにもよって「生活は改善された」とは…と思わざるをえない。スターリンは1928年工業化を推進する第一次五か年計画を発表し、それを強引に実行した。翌1929年に発生した世界恐慌で苦しむ資本主義国を尻目にしつつ工業化を成し遂げたことは、社会主義の勝利として称えられた。この成功を祝って1935年の演説で述べた言葉が、「生活は改善された」である。そして、ショスタコーヴィチは確かにその演説の場にいた。
しかし、現在ではその成功よりもそれが齎した負の側面でこの計画は有名である。農業では悪名高い「集団化」が強制的に行われ、その結果として惹き起こされたウクライナを始めとするソ連国内各地での飢饉は「ホロドモール」とも呼ばれ、ナチスによるホロコーストと並ぶ二十世紀の悲劇の一つに数えられている。
この悲惨な結果は、当時としてはむろん知る由もなく、ショスタコーヴィチもそれを知らずにスターリンの演説に耳を傾けていた筈である。しかし、大粛清により周囲の人間が次々と名誉と生命、人間としての尊厳を奪われ、自らもその危機にあったという経験を経た1940年に、スターリンのこの言葉をその字義通り‘受け容れる’ことが出来た、と想像することが私には信じられない。



 ショスタコーヴィチとスターリン 

タラスキンはこの講演でヴォルコフの『ショスタコーヴィチとスターリン』を批判し続けている。だが、この本には次のような、ピアノ五重奏曲に関する美しい言葉が見出される。門外漢の私がこのように長々と文を綴っているのも、この言葉を紹介したいと思ったからに他ならない。



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1941年の 「スターリン賞」第一位に輝いたショスタコーヴィチ作曲 ピアノ五重奏曲op.57
演奏  ヤンセン(第二ヴァイオリン)とその仲間たち



この五重奏曲の決して絶える事のない魅力は、皮肉を気取った姿勢やグロテスクなもの影が全く見当たらない事の内にある。・・・この五重奏曲は、重い病から回復したばかりの人間の疲れ果てた知恵で息づいている。・・・ソヴィエトのインテリゲンチャは、大粛清の恐怖の波に溺れかけていたが、ほんのつかの間、水から頭を上げ、周りを見渡し息をつきたいと願っていたのだ。ある同時代人は、新聞が書くことやプロパガンダが自らの頭に叩き入れようとするものへの不信と恐怖に満ちている中で、この五重奏曲が「時を超えた貴い水晶」のように現れたと述べている。(『ショスタコーヴィチとスターリン』第四章)

この本は最近最高の訳者たちを得て、邦訳されているのだが、唯一の欠点は値段が高すぎること(!)で、以前英訳を購入したのだが、その英訳から重訳をせざるを得ず、この美しさを伝えることが出来ずもどかしい限りだが、この「溺れかける」という比喩は、大粛清を辛うじて生き延びた人々の心情を手に取るように解らせてくれると思う。ヴォルコフによれば、この曲の初演を聴いていたある年老いた聴衆は、涙が頬を伝わるのを気づくことなしにこの曲に聴き入っていたという。

全体主義が支配する中での、音楽、あるいは芸術を通じた反抗とは何を意味するのだろうか。外面だけではなく、内面でも信奉、順応を求めるのが、共産主義を含む「 全体主義 」一般の恐怖である。全体主義の下では、真実とは党が定めるところのものである。何が正しく、何がよいのかは、全て党が決定し、何が事実であるのかさえもそうである。従って、「(全体主義下にある)ソ連邦において、「批判者」であるということが表すのは、誠実であるということ(truthfulness)であり、検閲されていない現実であり、道徳上の諸価値である。それは、社会主義リアリズムの幻の現実やソビエトでの公的な言論の蔓延する虚偽に反対するものである」とマクドナルドは言う。
外的なもの、公的なものだけが価値があるとされる中で、内的なものの美しさを表現すること自体が反抗なのである。第五楽章は確かに明るい。しかし、その明るさは飽くまでも個人的なもの、内面的なものであり、スターリンの演説などとは無縁なものである。



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ショスタコーヴィチ自身がピアノを演奏している。




政治的ならざる道徳的な反抗とは何なのだろう。
ヴォルコフはショスタコーヴィチを、同時代の詩人たち、マンデリシュターム、アフマートヴァ、そしてパステルナークと同様の精神の持ち主としている。そして、この本のエピローグで、パステルナークと彼に共通する考えとしてイエスの有名な言葉、「カエサルのものはカエサルに」を挙げている。ショスタコーヴィチはこの格言を基にしたティツィアーノの絵の複製を書棚に飾っていたとのことだが、この言葉には、「神のものは神へ」という言葉が続き、政治と宗教との峻別を教える言葉として有名である。そして、芸術は宗教の側に属するのは、我が国でも福田恆存が再三再四説いたところである。



  ドクトルジバゴ

政治と芸術とが峻別されなければいけない事は、エピローグでヴォルコフが語る、パステルナークの晩年の悲劇から学ぶことが出来るだろう。パステルナークが反体制側に属することは、スターリンも承知しており、その上で「あの雲の上に住む人間に触ってはいけない」と秘密警察に語っていたことをマクドナルドが紹介しているが、政治的人間とは程遠いパステルナークは、共産党の支配下で生きる人々の現実から目を背けることはしなかった。スターリンの死後、それを描いた小説『ドクトルジバゴ』を、その原稿を密かに西側に持ち出し出版するという、当時としては奇想天外の策を通じて発表することが出来た。西側での大きな反響の結果ノーベル文学賞受賞という結果が齎されたのだが、フルシチョフの共産党政権からの圧力により、パステルナークは受賞を辞退する事になり、国内での様々な批判に晒され、癌に侵されていた彼は世を去った。
この受賞辞退という事件は、そして、彼の死という出来事でさえも、冷戦下にあっては、西側の政治的なプロパガンダに利用されるだけであった。死の前日彼は「自分を苦しめているのは、故国では全く知られていない時に世界的な名声を得ることの持つ二面性を知ったことだ」と述べたいう。アイザイア・バーリンを始めとする自分を理解する友人も西側には確かにいるが、多くは自分を知らず政治的に自分を利用する者であり、他方、自分の作品を理解し共感を寄せる筈の多くの同朋に、この作品が届いていないという事実は、彼を苦しめたであろう。
パステルナークは、国外での出版という事を通じて、心ならずも自らが政治の場に立つことを選択したことになった訳だが、ヴォルコフによると、ショスタコーヴィチはこのようなパステルナークの晩年の逸脱とそれが齎した苦悩を、心を痛めながら見ていたということである。



さて、このような状況下、ショスタコーヴィチはフルシチョフ政権下で、反ユダヤ主義の悪を鋭く批判するエフトゥシェンコの詩を用いた、交響曲第十三番を作曲し、表向きはナチズムを批判しつつ共産主義をも批判することがかなり明らかになっている曲を発表した。しかし、時は、既に移り変わっていた。先に述べたようにサハロフやソルジェニーツィンが党批判を公言しても、直ちに死を以って沈黙させられる時代ではなくなっていた。
そのような新しい人間たちとショスタコーヴィチとの距離をも、ヴォルコフはこのエピローグで伝えてくれる。彼らからすれば、ショスタコーヴィチの振舞いは、微温的で歯がゆいものであった。だが、反体制運動は、体制が押し付ける正義に対して、自らの正義を主張する単なる政治運動となりがちである。それは、反体制の言動ではあるが、体制側の持つ政治の悪をむしろ共有するものである。ヴォルコフが伝える若い世代の人間たちの言動は、体制側の人間と同様に、正義を振りかざして他者にそれを押し付けるものであったのではないか。
晩年のショスタコーヴィチの、「老い、死、忘却、自然への回帰という主題を扱う、反ソヴィエトではなく非ソヴィエトの音楽」を彼らが理解できなかったことがその証左である。そして、サハロフやソルジェニーツィンの活動こそが真の抵抗であるとして、ショスタコーヴィチにその語を与えることを拒むタラスキンもまた、そのような政治の悪を根本的に剔抉する芸術の在り方を知らぬ正義漢の一人であると私には思われる。



西側の人間が見逃していたのは何であろうか。
マクドナルドは、反ヴォルコフ派の人間がソ連の現実をあまりにも知らない無知を嘆いているが、それは単に事実に関するものではない。全体主義、あるいは、政治の悪とは何なのかということに関する無知であると思われる。しかし、彼の音楽から聴き取るべきものを聴き取った人もいる。
ヴォルコフは、その著の序文で、ローレンス・ハンセンという人の(ショスタコーヴィチの音楽は)「我々の最も根源にある、原初の恐怖、つまり、外部の力による自我の破壊、生が意義も意味もないものになるのではないかという恐怖、自分の仲間の人間の内にも見出されるかもしれない全くの悪に触れるものなのだ」という言葉を引いている。自分が自分として生きることは決してたやすいことではない。弾圧、抑圧、あるいは洗脳、自分を失わせるものは幾らでもある。そして、共産主義、あるいは全体主義とはその極端な例である。
ヴォルコフによれば、ショスタコーヴィチは、「一見するところ壊れやすく、気取るところのない人間だが、その外見にも拘らず、複雑で矛盾に満ち、しかし究極には勇気ある人物であることがあきらかになった」のであり、マンデリシュタームの妻ナジェージダが語るように、「内面の自由、記憶、そして恐怖を持つ人間は、押し寄せる川の水の流れを変える葦、小枝である」のだ。

苛酷で非人間的な状況の中であっても、音楽に人々が共感を寄せつづける限り、人間性を押し流そうとする川の流れに人は抗することが出来るだろう、ことをショスタコーヴィチの音楽は我々に教える。
戦争はどんな形であれ終わればいいというものではない。少なくとも「ショスタコーヴィチ戦争」はこのまま終わって欲しくはない。単なる事実ではなく、それが意味する所が明らかになるまで続いて欲しいものである。


(ネモローサ)



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