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2019.01.03 (Thu)

ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」――ロシア「専制君主」の孤独と苦悩

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 引き続きクラシック万歳!!


イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



ムソルグスキー作曲  オペラ映画「ボリス・ゴドゥノフ」(1989年)。
「奇才」と称されるポーランドのアンジェイ・ズラウスキーが映画監督を務めている。
対象の周りを旋回するカメラワークや、舞台である16世紀のロシアに、第二次大戦後の冷戦当時のソ連兵を紛れ込ませ、ロシアの「専制政治」ぶりを強調する等、独特の演出を各所に施している。(残念ながらこの監督のDVDは日本未発売)。




今年で生誕180年を迎えるロシアの作曲家のムソルグスキー。「はげ山の一夜」や「展覧会の絵」といった曲は誰もが親しめ、オーケストラの定番曲としてしばしば演奏されている。ただ今回取り上げてみたいのは、「ボリス・ゴドゥノフ」というムソルグスキーのオペラである。



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モデスト・ムソルグスキー(1839‐1881)。
「ロシア五人組」(バラキレフ、キュイ、ボロディン、リムスキー=コルサコフ)の一人として知られる。



同曲の原作は19世紀のロシアの詩人プーシキンが書いた戯曲だが、そのストーリーは次のようなものだ―--

16世紀のロシアのツァーリ(皇帝)ボリスは、先帝の皇太子の暗殺という隠された過去があり、生涯の消すことが出来ない汚点となっていた。夜な夜な、殺された幼少の皇太子が亡霊となって枕元に立っている…ボリスはやがて白昼でも亡霊に憑りつかれ、他にも皇太子の幻影を見たという僧侶の話を聞かされると、ついに発狂し死んでしまう。


この筋書きからシェークスピアの戯曲『マクベス』を連想する人もいるかもしれない。確かに原作者のプーシキンは、シェークスピアを愛読したというから、恐らく影響は受けているのだろう。しかし『ボリス・ゴドゥノフ』には、マクベスに先王の殺害をそそのかす魔女や悪妻も登場しない。つまりボリスは自らの意志で皇太子を殺害したにもかかわらず、自分で勝手に亡霊に悩まされ、死という最期を迎えたのである。
だが、本来皇太子を殺し帝位をのっとるだけの野心に満ちた男が、急にその亡霊におびえだし、発狂するというのは少々考えにくい話である。本当にボリスは皇太子の殺害だけに悩んでいたと考えるべきであろうか。プーシキンの原作やムソルグスキーのオペラを見直すと、必ずしもそうではない気がする。
では、彼が本当に苦悩していた問題とは何だったのだろうか。ボリスが見た‘ 亡霊 ’の正体は何であったか。
それを知るには当時のロシア社会を理解しなくてはならないだろう。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



「ボリス・ゴドゥノフ」から第三幕の舞曲「ポロネーゼ」(R. コルサコフ編曲)
指揮 バーンスタイン  演奏 ニューヨーク・フィル



ここでまず確認しておきたいのは、日本と異なり、ロシアではツァーリ(皇帝)は単に臣下によって担ぎ上げられるような「お神輿」、つまり単なる象徴的存在ではないということである。文字通りの最高権力者、ツァーリなしでは政治も十分に行われなかった、のである。確かに全国会議(ゼムスキー・サボール)と呼ばれる議会のようなものも16世紀にはあるにはあったが、あくまでツァーリの諮問(相談)機関という性格が強く、西欧のように、貴族や都市・農村の代表が「君主」との間で交渉を行う「身分制議会」とも異なるものだった。
また当時のロシアの国土の半分程は皇帝直轄地であり、そこから上がる収益も基本的にツァーリ個人の「財産」と考えられていた。一方で臣下の中で自前の土地を持てたのは、貴族(ボヤーレ)等限られた者であった。つまりツァーリ(皇帝)は最高権力者であると同時に、国内で最大の地主でもあったのだ。

こうしたツァーリ(皇帝)中心のロシア社会を、米のロシア史研究者リチャード・パイプスは「家産制」という概念で説明している。
例えば、17世紀のフランスにおいて「朕は国家なり」と述べたルイ14世などの国家観に見られるように、家産制の国家では、国家や国土も、君主が自らの私的「財産」として所有し、ほぼ無制限の権力が与えられていた。ツァーリと一部の貴族にしか土地の所有権がなかったロシアは、このモデルの極端な例といえる。

これに対し西欧では、土地を私有する臣下が、君主と主従「契約」を結ぶ封建制が中世から発達し、君主の権力は次第に制限されていった(その中で君主の権力が強く、その意味で最も家産制的であったフランスでも臣民の私的所有権まで否定されることはなかった)。
では西欧諸国が家産制から封建制へ、さらに近代的な法治国家へ発展していったのに対し、同時期のロシアでは家産制が20世紀に至るまで維持され、むしろ‘ ツァーリ(皇帝)の専制 ’が進んだのは何故なのか。

パイプスはその理由について、まずロシアの地理的条件を指摘する。元々ロシアは国土の大部分の土地が痩せており(現在のロシア北部)、通商ルートからも外れた貧しい国であった。故に、12世紀になるとロシアはいくつかの公国に分かれ、土地を求めて互いに争いあう状態であった。そこで人々は、より豊かな土地を求めて南下し、現在のロシア南部に移住するようになった。
しかしそこで障害になったのが、当時その地域を支配していたモンゴル帝国である。
当時モンゴル帝国は、皇帝を中心とする専制政治を敷いており、その武力によって13~15世紀にかけて、ロシア人を支配下においた(これを「タタールのくびき」というが、それについては以前の「ボロディン「中央アジアの草原にて」と「だったん人の踊り」―― ロシア人とタタール人の物語参照)。

この強国に対抗するには、ロシア人もまた自国を統一し、強力な「専制国家」を築かなくてはならなかったのである。




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イヴァン3世(1440‐1505)   イヴァン4世(1533‐1547)


最初にロシアで専制政治を推し進めたのが、リューリク朝のイヴァン3世とその孫のイヴァン4世である。
まずイヴァン3世は分裂状態のロシアを統一するとともに、モンゴル軍を破り200年に及ぶ「タタールのくびき」からロシア人を解放した。そしてそれまでのモスクワ大公に代わり「ツァーリ」(皇帝)の称号を初めて用いたのである。
次の、イヴァン4世は、その気性の激しさから「雷帝」と呼ばれ、人々から恐れられたツァーリである。
彼はカザン・ハン国などの近隣諸国を征服し国土の拡大に努めた。一方で内政は、貴族の反対を押し切り、皇帝の直轄地や官僚制度を創設するなど中央集権化を進めていった。特に彼の治世の後期は、反対派を容赦なく処刑し、「恐怖政治」を敷いたことで知られている。しかし後継者と目していた息子の次男イヴァンを、些細な理由で怒りの余り 撲殺(!)してからは気落ちし、哀れな晩年を送ったという。

さてイヴァン4世亡き後、ツァーリ(皇帝)の位を継いだのは三男のフォードルであったが、まだ20代であったため、5人の摂政が置かれた。その一人がこの物語の主人公あるボリスであり、彼は自分の妹を皇帝フォードルに嫁がせることで実権を握った。
1591年には次期後継者と目されていた皇太子ドミトリーが謎の急死を遂げ、1598年に皇帝フォードルが亡くなると、後継ぎが断絶したため、ツァーリ(皇帝)に即位したのは義理の兄であるボリスであった。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場公演(1990年)。
「ボリス・ゴドゥノフ」の戴冠式の場面。貴族や民衆に歓迎される中で、ボリス一人が将来に対する不安を口にし、神に国民の安寧を祈っている。演出は「惑星ソラリス」などで有名な映画監督のタルコフスキーで、ボリスの孤独な立場を見事に表現している。



史実によれば、ボリスの治世はそれまでのロシアの支配者のものとはかなり異なっていた。ロシア文化史研究者のジェームズ E. ビリントンは、その特徴をロシアの「西欧化」であると指摘している。
ボリスは同国の伝統的な風習である長いあご髭を剃るよう奨励し、30人の臣下を西欧留学に派遣した。また少数派のルター派を公認し(ロシアではロシア正教が中心である)外国人を政府の要職に就けるなど外に開かれた外交・内政政策を展開する。後のピョートル大帝の西欧化政策を先取りしたような彼の改革は、英国やデンマークなど君主の権力が制限された西欧諸国のように、ロシアを「平和的に進化させる」機会であったかもしれないとビリントンはいう。


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ボリス・ゴドゥノフ(1551‐1605)。実際の史実ではドミトリーは事故死という説も現在では有力である。

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ボリスとその息子フォードル



さて、貴族の中にも当然、ボリスの政策に反対する者や、ツァーリ(皇帝)の位からの追い落としをひそかに狙う者もいた。
プーシキンの原作ではその代表として描かれるのがシュイスキー公である。
当時、死んだ筈の先帝の皇太子のドミトリーが実は生きていて、地方のどこかに隠れているという噂話が国内に広まっていた。そして隣国のポーランドに、「偽ドミトリー」――ドミトリー本人であると僭称した者が現れ(他人の身分を勝手に名乗ること。作中ではグレゴリーという一介の修道僧 )、ボリスの廃位を訴え、首都のモスクワに攻め入る。これに乗じて、偽ドミトリーをひそかに支援したシュイスキー公は、ボリスが亡霊を恐れて精神錯乱状態であることを他の貴族に知らしめたり、死んだ皇太子の幻を見たという僧を呼び出してその様を語らせるなど、次第にボリスを窮地に追い込んで行くのである。


しかしボリスを悩まし真に追い込んでいったのは他でもない、一般の‘ 民衆の存在’である。彼らは、ロシア語で「ナロード」(民衆)と呼ばれ、当時そのほとんどが農民だった。自前の土地を持たない彼らは領主から農地を割り当てられる代わりに、重税や強制労働を課されていた。しかも領主の「財産」とみなされていたために、しばしば売買の対象にもなる等、奴隷に近い状況(農奴)に置かれていたのである。

そうした彼らに「裕福と栄光」を約束し、仁政によって彼らの「愛」を得ようとしたのがボリスであった。皇太子の暗殺という汚点を抱えていた彼にとって、民衆からの支持は、自らの統治を正当化するためにも必要不可欠だったからである。
これに対し民衆も、始めは彼の統治に期待し、即位の際は歓呼の声を上げて祝福した。
しかしその後ロシアで大規模な飢饉が発生すると、今度はツァーリに対して「パンを!」と懇願する。民の父としてボリスも急ぎ食糧支援を行ったが、到底足りず、民衆の間では次第に不満が高まっていく。やがて困窮の原因として、‘ 憎悪 ’の対象にまでなる中、ボリスは自らの努力が民衆に伝わらないことを次のように嘆く。

「神はわれらが国土に飢饉を下したまい、人民は苦悶のうちに死につつ、呻吟しはじめた。余は人民のために穀倉を開き、黄金をばら撒き、仕事を探してやった——それなのに彼らは怒り狂って、余を呪った!」(プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』)

こうして支持基盤である民衆の信頼を失ったことで、ボリスは一人宮中で孤立した。心労のあまり皇太子の霊を見て精神を病んだとしても、不思議ではないだろう。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



ボリスの独唱「私は最高権力を手に入れた」。内容は、権力を手に入れ、6年の間ロシアを無事治めてきたが、自分の心に幸福はなく、大貴族の裏切り、外国の陰謀、飢饉や疫病等次々と起こる不幸は、皇太子を暗殺した自分に対する天罰ではないかと恐れる、というものである。彼の孤独と苦悩が凝縮されている場面だ。オペラでは珍しいバスが主役になっているのも特徴的である。
エフゲニー・ネストレンコ(ボリス)、ボリショイ歌劇場公演(1987年)。



これに対し、反乱の黒幕のシュイスキーは、民衆とは「思慮なく、移ろいやすく、治め難く、信じやすい」ものと始めから見なしていた。だからこそ現状に不満を持つ民衆の‘ 移ろいやすさ ’を逆手にとり、彼らを上手く‘ 扇動 ’すればツァーリ(皇帝)の廃位も可能になる、と心得ていたのだ。


結果として、民衆が従ったのはシュイスキーに操られた偽ドミトリー皇の反乱軍側だった。
ムソルグスキーはその様子をオペラの最終幕「革命の場」で印象的に描いている。発狂の末に亡くなったボリスの宮殿に民衆はなだれ込み、略奪の限りを尽くす。そしてポーランドの援軍を伴って現れた偽ドミトリー皇太子を新たなツァーリとして迎えるのである。



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。



「革命の場」の一部。映像は1954年のソ連によって製作されたオペラ映画である。ラストでは偽ドミトリー皇が、民衆にボリスを倒すべくモスクワに進軍するよう呼びかけている。この映画では民衆はそれに疑りぶかい表情を見せるが、冒頭で紹介したズラウスキー版では喜んで付き従う等、監督によって解釈が分かれているのが興味深い。



ビリントンによれば、この最終幕は作曲家ムソルグスキーが生きた19世紀ロシアの時代に影響を受けているという。
当時のロシアではロマノフ家のツァーリ、アレクサンドル2世の下で農奴制の廃止など、ロシア積年の課題である「西欧化」に向けた改革が行われていた。
しかし当時の「ナロードニキ」と呼ばれる知識人の一派は、こうした上からの改革は民衆の不満を解決しないと主張し、農民の蜂起と帝政の打倒だけが問題を解決すると唱えた。
芸術を民衆との「対話」であると捉え、そのリアルな現状を音楽に描こうとしたムソルグスキーもこの運動からの影響を受けていた。そのためボリスの死で終わった原作には「革命の場」を付け加えることで、支配者を倒す力があるのは民衆であることを暗示したという。
だがその後に民衆を待ち受けていたものは何だったのか。
物語では、一人の白痴が、「ロシアよ、嘆け!」と言い、これからロシアに来る暗黒時代を予言して、幕を閉じる。


実際の史実では、ボリスの死後、貴族の間で跡目争いによる戦乱が続き、その中でのし上がったロマノフ家が、最終的にツァーリの位を手に入れた。そしてイヴァン雷帝時代と同様、やはり専制を強化していくことになるのである。また19世紀のロシアでも「ボリス・ゴドゥノフ」の初演の数年後、アレクサンドル2世がナロードニキの過激派によって暗殺されると、後継者のアレクサンドル3世はより強力な専制政治を敷き、敵対者を徹底的に弾圧した。
その後1917年のロシア革命で、共産主義者と共に立ち上がった民衆は、ツァーリ支配をついに打倒し、ソ連という新国家を建国する。しかしその後に続いたのは、またしても独裁者スターリンによる「専制」であった(これについては「ハチャトゥリアンの「剣の舞」――ソ連と祖国アルメニアのはざまに生きた作曲家」参照)。


では冷戦が終結しソ連が崩壊した後の、現在のロシアはどうであろうか。民主化に失敗し、未だに強力な指導者の支配が続いているように見える。

このように考えると、やはり専制政治は大国ロシアの宿命なのだろうか、それとも…

(門前小僧)


<参考文献>
『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』北垣信行、栗原成郎訳(河出書房新社 1972年)
James Billington, Icon and Axe. An interpretive History of Russian Culture. (Vintage, 1970)
Richard Pipes, Russia under the old Regime. (Penguin Books, 1997)
栗生沢 猛生『ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー——動乱時代のロシア』(山川出版社1997年)



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