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2010.02.21 (Sun)

謎解き「幻想交響曲」 ベルリオーズ

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 引き続きクラシック万歳!!



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。 

     




ベルリオーズ:幻想交響曲ベルリオーズ:幻想交響曲
(2007/06/20)
ミュンシュ(シャルル)

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エクトル・ベルリオーズ(仏 1803-1869)は、医学生になる為にパリへ行くもそこで作曲家となる。著作に「管弦楽法」。代表作は「幻想交響曲」「ファウストの劫罰(ごうばつ)」


私が、あまり世間でその価値を認知されていないベルリオーズの作品を紹介する理由は、この曲が多くの「謎」に包まれているからだ。例えば、聴いていて心が躍るようであったり、物哀しくなったり、しみじみと感動するような曲は幾らでもあるだろう。だが、‘心に謎の残る曲’というものは、多分誰もあまりお目にかかった事がない筈だ。それでいてクラシック音楽の中では、名曲中の名曲と位置付けられている。一体、何が謎なのか。
一言で言えば、‘聴いていても良く分からない曲’なのである。先にも述べたが、私達が曲に接する時、この曲は明るいとか、悲しいとか、力強く激しい、あるいはロマンチックだとか「曲想」をそれなりに思い浮かべながら聴いている。ところがこの曲の場合、前半の楽章は、ロマンチックな旋律で占められているかと思うと、後半では金管が乱暴に吹き鳴らされ、ティンパ二が騒ゝしく連打されたりと、とても同一の曲と思えない奇怪な音楽が展開されているのだから、お世辞にも親しみやすい名曲、とは言えないだろう。どこか怪しげで、作曲家は一体何を考えて作曲したのだろう、といぶかしがる向きも出てくるかもしれない。だが何の脈絡もなく作曲されたわけではない。実はこの曲は‘物語’なのである。台詞(せりふ)もなく、俳優もいない、オーケストラのみで語られる、いや奏でられる物語、それが「幻想交響曲」なのである。




正真正銘のカリカチュア、才能の影さえなく、暗黒の中を模索している癖に新しい世界の創造者を自任している男

フェリックス・メンデルスゾーン


そもそもベルリオーズが新しいオペラを書いたという事が、彼の最大の不幸なのだ。彼を救えるものは唯、劇しかないのだから。

リヒャルト・ワーグナー


(医学生の)ベルリオーズが殺人犯の頭を解剖した時でも、私が彼のシンフォ二―の第一部を分析した時に感じた程の嫌らしさは、感じなかっただろう。

ロベルト・シューマン



さんざんな酷評である……。



さて、この曲は全部で五つの楽章で構成されている。第一楽章は夢と情熱、第二楽章は舞踏会、第三楽章は野原で、第四楽章は断頭台への行進、第五楽章はサバの野の夢、と言う様に、実に奇妙な題名が続いているが、物語はさらに奇怪極まりないものとなっている。(内容はすべてベルリオーズ自身が書いている) 
昔、一人の芸術家がいて、彼はさる女性に思いを奪われていた。彼は舞踏会に出掛けたり、野原でまどろむといったささいな日常生活の中でも常に彼女の面影を忘れる事が出来ない程、恋焦がれていた。ある種、病的なものである。やがて彼は、自身の愛が彼女に受け入れられないと分かり、絶望して毒を飲む。だが、致死量に至らず彼は半死半生の中で、幻影を見る。――それは自分が女性を殺し、処刑台へと連れて行かれるというものだった。やがて男の葬式が執り行われる。彼の棺桶の周りでは、地獄の悪魔が集い、踊りを踊る。すると、そこへ女性が現れ、悪魔と一緒に踊り始める。鐘が打ち鳴らされ、舞踏は熱気を帯び、物語はカタルシスへとなだれ込んでいく。この悪夢の様な筋書きを追ってみると、初めて、各章の題名や、突如の旋律の変化も説明が着くだろう。
では、何故ベルリオーズはこのような「妄想」と言える様な曲を作曲したのだろう。理由は単純で、主人公の芸術家がベルリオーズ自身なのである。といっても実際は、彼は毒を飲んだ訳ではない。
唯、恋をしたのだ。相手は、ハンリエッタ・スミッソン。彼女は、当時それ程人気のなかったシェークスピア劇でヒロインを演じている女優であった。シェークスピア劇のファンでもあったベルリオーズは、じきに劇よりも演じている彼女の方に熱を入れ始める。すっかり彼女をジュリエットやオフェーリアと同一視してしまった彼は、早速、求婚するが、何しろ彼は当時まだ貧乏な音楽院学生。にべもなく撥ねつけられてしまう。
その、傷心のベルリオーズが一念発起して書き上げた作品が、この「幻想交響曲」だったのである。曲は当時としては、大変斬新なものであって人気は上々で、以後、彼は有名作曲家の地位を獲得したのであった。(ちなみにその後、再び彼はスミッソンに求婚し、見事二人は結婚するのだが、結局破局してしまう。)
さて、ここまでで、曲の‘謎’も解明できたが、最後に未だ一つ「何故この曲が名曲と言われているのか」という事である。ここで時代背景を考えてみる。曲が作曲された1830年代は、フランスでは、社会構造の変化が起こっていた。すなわち大小の貴族が没落し、代わりに資本家などのブルジョア階級が急速に力を持ち始めていた。彼らは貴族が保護していたバロック~古典派の格調高い名曲よりも、派手で実生活に則した音楽を求めていた。ベルリオーズの自らの内面を赤裸々に投影した「幻想交響曲」は彼らの欲求を充分に満たしたに違いない。
また「幻想交響曲」がクラシック音楽において、「描写音楽」の先駆けである事にも注目したい。描写音楽とは音楽それ自体に意味を求めるのでなく、自然・人の感情などを音楽によって表現したものである。例えば、モーツァルトの交響曲第40番は曲自体を聞くものであるのに対し、ベートーヴェン第6番「田園」は、題名の通り聴いて田園に思いを馳せなければならない。(ちなみに、この曲が初めての描写音楽であると言われている。)
ではベルリオーズの場合はどうか。この曲は物語である。そして作曲家自身の感情が音化された作品である。そう、彼はこの「幻想交響曲という曲で初めて、「個人」を音楽作品に込めたのだ。
クラシック音楽のそもそもの始まりは、神を讃える宗教音楽だった。それが、徐々にオラトリオ、オペラ、交響曲へとすそ野を広げていったにせよ、あくまでも、音楽の本質は‘祈り’であり、万人の為に存在していた。ベルリオーズはその伝統を打ち破ったのだ。彼の音楽は、極めて個人的な内容を題材とし、そこに息付く個人の情念をあます処なくオーケストレーションに仕上げたのである。
それは真の意味でクラシック音楽が、古典派から以後のロマン派に移行する上での、記念碑的作品と言っても言い過ぎではあるまい。ベルリオーズこそロマン派音楽の創始者だったのである。こうした観点で改めて「幻想交響曲」を聴くと、今迄の意味不明の音楽が、俄然、耳に違ったものに響いてこないだろうか。第一楽章の、ときめきにも似た弦楽器のささやき、曲の要所要所に現れる彼女を表す甘美な動機、第三楽章のファゴットの響きの切なさ、第四楽章の一見明る気な雰囲気の中で、男の処刑が粛々と執り行われるという異常さ、第五楽章は、悪魔まで現れての狂乱のダンス。全ての音符が意味深く音楽の中に織り込まれている。この曲を聴かずして、もはやクラシック音楽は語れまい……。

(門前ノ小僧)



 引き続きクラシック万歳!!

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