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2012.08.09 (Thu)

古本屋で見つけたクレンペラー

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 引き続きクラシック万歳!!



リヒャルト・シュトラウス作曲 メタモルフォーゼン
リヒャルト・シュトラウス最晩年の曲。敗戦後廃墟のようになったドイツで、このような曲が書かれたということは様々なことを思わせる。更にそれを演奏するクレンペラーが何を考えていたのかということも...

ゲオルク・ジンメルがベルリンを離れシュトラスブルク大学に教授として赴任した際に若き友人としてその無聊を慰め、マックス・シェーラーとも親しく交わり結婚の証人にもなってもらい、更には、エルンスト・ブロッホとは、ジンメルに頼まれその最初の著書『ユートピアの精神』の草稿を読み高く評価したことがその出版を促し、後には終生の友人となった――こんなマニアックな話からはじめた訳は、三人とも当時のドイツの哲学者なのだが、そんな彼らと親しく親交を深めていたのが、今でも多くのファンを持つ大指揮者オットー・クレンペラーだと知って少なからず驚いたからである。
クレンペラーと言えば、マーラーの弟子であるということ以外には、オーケストラに対してひたすら厳しい、前時代の指揮者(その奇行にまつわる逸話は豊富)というイメージしか持ち合わせておらず、実はあまり関心がなかったのだが、偶々近所の古本屋で見かけて購入した、稀代の読書家 生松敬三の『二十世紀思想渉猟』(岩波現代文庫)で、先のジンメルら哲学者と指揮者クレンペラーの交流が書かれているのを読み、クレンペラーについて知りたくなった。
しかし、そこで紹介されていた、この話の元となっている『 クレンペラーとの対話 』をアマゾンで調べてみると、古本で7000円以上しており読むのを諦めかけたが、原著の方はドイツ語ではなく英語なので( 編著者のヘイワ―スはイギリスの音楽ジャーナリストであるため)、Book Finder で調べると古本がなんと送料込みで1000円台で購入できることが分かり、早速注文して取り寄せた。(Conversations with Klemperer, edited by Peter Heyworth) クレンペラーという人は無駄な言葉は一切口にしない人間であるので、インタヴューで紡ぎだされた彼の断片的な言葉を、編者のヘイワ―スがつなぎ合わせ、意味が通じる英語対談に仕立て上げたのが本書である。という事から、平易ではあるが、一語一語を寡黙なクレンペラーを思い浮かべながら読むと味わいのある、興味深い内容に満ちており、一読、巻を擱く能わず( 面白くて止められない )という言葉がぴったり当てはまる本である。






Conversations with KlempererConversations with Klemperer
(1985/05/13)
Otto Klemperer

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クレンペラーは、晩年イギリスの老舗オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者としてベートーヴェンの作品を始めとして古典的な作曲家の録音を多数残しており、巨匠の時代の指揮者というイメージを抱いていたのだが、本書「クレンペラーとの対話」ではそれ以前の時期が中心となっており、壮年期までのクレンペラーを知るにつれ、その印象は大きく変わった。
クレンペラーは、商売人だがその才覚のない芸術家気質のユダヤ人の父と同じくユダヤ人のピアニストの母の下に生まれ、音楽の才能を早くから現わした。頭も良く、数学を除けば学校での成績も良かったが(本人の言葉によればユダヤ人であるために試験の点数がいくら良くても一番とはされなかったとのことである)、音楽の道に進むためにアビトゥーア(大学受験資格)を取ることなく音楽院に進んだ。読書がとにかく好きで(晩年ヘイワ―スがインタヴューした際にもその合間に、気がつくと読書に没頭するクレンペラーがいたという)、しかも、正式な学歴がないことの引け目を持つことが、逆に冒頭に紹介した三人の哲学者との交流に彼を導いたとヘイワ―スは言う。ヘイワ―スも注意しているように、三人とも学者というよりも、文筆家として有名な人物であったのである。
クレンペラーはマーラーを尊敬しているが、その尊敬の念は、彼がマーラ―の推薦状を得ることにより指揮者の経歴を始めることが出来たということによるものではない。音楽家というよりももっと広い意味での芸術家としてのありかたに感銘を受けたからであろう。
本書の白眉は、両大戦間期にクロル劇場の音楽監督を務めたベルリンでの活動を語ったところにある。彼は当時の前衛音楽であるシェーンベルク、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、ヤナーチェク等次々と紹介する一方で、古典的なベートーヴェンのフィデリオを始めとするオペラの演出に於いて、新機軸を打ち出した。また、ワーグナーの新演出(戦後のヴィーラント様式の先駆けと言われる)も手がけるが、ナチの反感を買い、反ユダヤ主義の標的となった。
マーラーもまたユダヤ人であり、同様に、万事が保守的なウィーンでオペラの改革を行い結局のところウィーンを去らざるを得なかったのに、類似している。
ヘイワ―スは、本書の序文で「 クレンペラーのベートーヴェンは、もしも彼がシェーンベルクの下で学び、かれの音楽を演奏しなかったならば、同じものになっていただろうか、」(クレンペラーはアメリカに亡命中にシェーンベルクに作曲を学んでいた。シェーンベルクにUCLAでの教授職を紹介し、ブラームスのピアノ四重奏曲のオーケストラ版への編曲を促し、その他様々な面で気難しい彼を助けたのはクレンペラーであった。) 「クロルオペラは、 もしも彼がストラヴィンスキーの反ロマン主義的な美学を受け入れていなければ、あのような伝統との決然とした断絶をその特徴としていただろうか」と記している。クレンペラーはむしろ新し物好きと言える程であり、対談当時の前衛であったブーレーズやシュトックハウゼンの音楽にも耳を傾けており、全面的ではないにせよ肯定的な評価を与えている。新しいものに対し閉ざされた態度を取ることは決してしなかったのである。
しかし、ヨーロッパ音楽の伝統の下で演奏しているとの意識も強かった。クレンペラーは言う、「若い世代の指揮者の問題は、進むべき道筋を忘れているということだ。(ベルクの)ヴォツェックから始めてハイドンの交響曲で終わることは出来ない。ハイドンから始め、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトに進まなければいけない、それからは、更に新しく、もっと複雑な音楽に進んでもよい・・・問題は、彼らに成熟の感覚がないということなのだ、彼らはいきなり頂上に行こうとしている。」 亡命中のアメリカでの生活が苦々しいものでしかなかったのも、その根本はクレンペラーがヨーロッパの伝統を背負い過ぎたためである。
さて、本書は、カナダのテレビ局のドキュメンタリー制作のためにヘイワ―スが行ったインタヴューが元になっているが、そのドキュメンタリーが一時YouTubeで視聴出来た。(Otto Klemperer's Long Journey through His Times)クレンペラーはその番組では半分以上ドイツ語で語っているが、その部分は英語で字幕があるので、むしろ我々にとっては分かりやすいかもしれない。ともかく、必見のドキュメンタリーであるのだが、最近はYoutubeで見ることが出来ない。DVDか何かの形で、再販売してほしいのだが、ここでは、別のBBCでのインタヴューを観てみたい。 




クレンペラーは素行も悪く政治音痴で音楽馬鹿だったのかもしれないが、それゆえの明察があったように思われる。戦後彼はアメリカからヨーロッパに戻ったが、まず、ハンガリーのブダペストでの指揮者を務めた。しかし、直ぐに共産主義下での活動に耐えられず、ハンガリーを離れてしまう。共産党政府下ではよい音楽を作ることを出来ないということが、今から見れば政治的にも正しい行動をさせたのである。
更にまた時代と彼との関係を考えさせられたのは、西武で行われていた古書展で見つけて購入したCDのリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を聴いた時である。リヒャルト・シュトラウスの音楽をクレンペラーは高く評価しながらも、その人物像に対しては、「人当たりのよい」が、「何かが欠けている・・・その性格には、便乗主義的なものがある」と言い、反ユダヤ主義を標榜するナチスが権力を手にした時期に、彼は臆面もなく(ユダヤ人である)クレンペラーに向かって「今こそユダヤ人のために立ち上がるべき時だ」と言ったこと紹介している。周知のようにリヒャルト・シュトラウスはナチスの政権下で、ドイツ音楽院の総裁ともなりその政権に協力した人物なのに、である。芸術家は時に政治音痴であることが多々あるが、シュトラウスの場合もまた実際の音楽に於いては、ナチのイデオロギーに賛同する所は全くなく、と言ってそれに反対する所も全くない。政治とは全くの無縁の‘ 音楽職人 ’であったと言える。その彼がドイツの敗戦時において作曲した「メタモルフォーゼン」は、滅びゆくものへの想いに満ち真に美しい音楽である。しかしクレンペラーは感傷を交えず、言わば厳しく美しくこの曲を響かせるのである。
この同じCDには、反ユダヤ主義者であり、ナチにも利用されたワーグナーのジークフリート牧歌も収録されているが、この演奏もまた自己陶酔に陥ることのない厳しく美しいワーグナーをそこに聴くことが出来る。
時代に飲み込まれることなく、また、それから逃れることもない彼の音楽がそこにある。




ワーグナー ジークフリート牧歌

クレンペラーは、甘く感傷的なものとはおよそ対極にある音楽を作ったと言える。
彼がマーラーを深く尊敬しながら、その全ての作品を同様に高く評価せず、演奏しなかった曲があることは有名である。生松敬三氏の本には、ヴェリスムス(真実主義)またはノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)といわれる画家によるシェーラーの肖像画のことにも触れているがいるが、そのシェーラーとも親しかったクレンペラーの音楽は、マーラーよりも若い世代の彼らの美学を体現していたとも言える。しかし、それが飽くまでも伝統の上の「成熟」として結実したところに彼の偉大さがある。
などと、つれづれにこんなことを考えながら、最近話題となった、フランスEMIから発売された、マーラーのCDボックスの演奏を聴いているが、音質も演奏も素晴らしいものである。これは中古ではなく新品で買ったが、限定版であり、HMVにはもう在庫は無さそうである。中古CD屋を巡る手間が省けてよかったと思っている。



 

Mahler: Symphonies Nos. 2, 4, 7 & 9; Das Lied von der Erde; LiederMahler: Symphonies Nos. 2, 4, 7 & 9; Das Lied von der Erde; Lieder
(2011/10/17)
Otto Klemperer、Elisabeth Schwarzkopf 他
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R.シュトラウス / 管弦楽曲集R.シュトラウス / 管弦楽曲集
(1998/06/24)
フィルハーモニア管弦楽団、R.シュトラウス 他

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二十世紀思想渉猟 (岩波現代文庫)二十世紀思想渉猟 (岩波現代文庫)
(2000/12/15)
生松 敬三

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(ネモローサ)






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