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2012.12.31 (Mon)

スメタナのモルダウ「我が祖国」より

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 引き続きクラシック万歳!!



イヤホンやヘッドホンでの視聴をお勧め致します。
     

    

カレル・アンチェル&チェコ・フィル
『わが祖国』より「ブルタバ(モルダウ)」





スメタナ:わが祖国(全曲)スメタナ:わが祖国(全曲)
(2006/01/18)
アンチェル(カレル)

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誰もが知っているチェコの作曲家、スメタナの名曲「わが祖国」(の中の‘モルダウ’は特に有名)。2012年はこの曲が初演されて130年に当たるそうである。しかしこの曲、それ以前のものと比べると少し奇妙に思われるところがないだろうか?例えばモーツァルトやベートーヴェンの曲に「我がオーストリア」や「我が祖国ドイツ」といった曲が存在しない。確かにハイドンは現在のドイツ国歌のもとになるピアノ曲「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」を作曲した。(ただしハイドンの祖国はオーストリアである)彼はナポレオン戦争で祖国オーストリアがフランス軍に攻撃された時この曲を書いたという。しかしそれは題名の通りあくまで自国の君主フランツ2世に捧げられたもので、オーストリア国民に対してではなかった。
しかしスメタナの時代、すなわち19世紀中盤以降になると、作曲家が自らの祖国を題材にし、「自国の風習や伝統に沿った」曲を作り、称揚する動きが全ヨーロッパ的に広まり(チェコではドボルザーク、ロシアでは「5人組」と呼ばれるムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ボロディンなどの作曲家達、ハンガリーではバルトーク、ヤナーチェクなど)、今ではごく当然のようにこれらが「国民楽派」音楽として受け入れられている。
今回は、ナショナリズムの観点から、今一度「国民楽派」音楽の成立を、スメタナの「我が祖国」で問い直してみたい。


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ベドルジフ・スメタナ(1824~1884 チェコ)
 

スメタナの「我が祖国」はいわゆる「交響詩」(楽章構成に捕らわれない、自由な構成で作曲された管弦楽作品)の一種であるが、この「交響詩」というのは人物の内面や風景などを「描写」することを目的としている。「我が祖国」で描写されているのはもちろんスメタナの祖国チェコであるが、それは第2曲「ヴルダヴァ(チェコ語、モルダウはドイツ名)」のように情景だけではなくチェコの歴史や伝説も含んでいる。表題を見てみよう。

第1曲:ヴィシェフラド(Vyšehrad)…かつての国王の居城ヴィシュフラド城跡を吟遊詩人が歌う。
第2曲:ヴルタヴァ(Vltava)…ドイツ語名「モルダウ」で親しまれている通り、モルダウ川の流れを描写。
第3曲:シャールカ(Šárka)…プラハの北東にある谷にまつわる勇女の伝説
第4曲:ボヘミアの森と草原から(Z českých luhů a hájů)…チェコの農民の日常を描く
第5曲:ターボル(Tábor)…南ボヘミア州の古い町に拠点を持ったフス派の戦いを描写
第6曲:ブラニーク(Blaník)…中央ボヘミアにある山にまつわる聖ヴァーツラフの伝説

表題に掲げられているのはいずれもチェコの名所、旧跡と一見して思われるだろう。しかし考えてみると何故スメタナはこれらの場所を選んだのか,気になる。例えば、他にも名所と言えば歴代神聖ローマ皇帝の居城だった首都プラハにあるプラハ城を選んでも良いだろう。スメタナが選択した基準は何だったのか…。
ここで先程の「歴史」と「伝説」が出てくる。それらが表題の名所旧跡と何らかの関わりがあることは明らかである。ここで注目してほしいのは第5曲の「フス派」、第6曲の「聖ヴァーツラフ」というキーワードである。
前者の「フス派」とは、15世紀カトリック教会の腐敗を批判したチェコの聖職者ヤン・フスの処刑を契機に大規模な反乱「フス戦争」を起こしたチェコ人のことである。また、後者の「聖ヴァーツラフ」とはチェコの守護聖人と崇められた中世期の伝説的なボヘミア公を指している。両者とも祖国を代表する偉人、英雄であった(と思われる)。
ただここであえて「と思われる」と加えたのは実際はそれが本当かどうか分からないからだ。そもそも聖ヴァーツラフが自分を「ボヘミア公」だとは思っていても、独立した「チェコ人」の一人と考えていたかどうか。というのも当時のボヘミア公国は独立国ではなく、形式上はドイツの神聖ローマ帝国の一部だったからだ!その後も王座がルクセンブルク家やハプスブルク家などドイツ系に移り(相続によって平和裏にである)、チェコは長い間「ドイツ人の君主」によって統治された。それを多くのチェコ人は不自然には思ってこなかった。問題になったのはむしろ君主がカトリックである事に対しフス派やプロテスタントが反乱を起こすといった宗教面においてであった。こうした状態がが近代まで続いたのである。



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ヤン・フス(1369~1415)



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聖ヴァーツラフ(907~935)
 
 
転機になったのは1789年のフランス革命とその後のナポレオンによる征服戦争である。フランス革命はただ民衆がルイ16世やマリー・アントワネットをギロチンにかけ「自由・平等・友愛」を連呼しただけではない。革命政府が封建的な身分制秩序を潰し新たに生み出したのは「国民国家」という概念であった。では「国民国家」とは何か?とりあえずここでは‘ 言語・文化・歴史・血統などを互いに共通だと思っている人々からなる近代国家 ’と定義しておく。つまり現在の私たちがイメージする平等な個人からなり、自分たちが「同じ国民」だと思う国家である。だとするとそれまでの人々は自分たちが国民だと思っていなかったの?という質問が出るだろう。実はそうなのだ、というのが最近主流の学説である。(確かに自らを君主に従う「臣民」と思うことはあったがそれは主権を持つ「国民」とは異なる)
この「国民国家」を自分たちも作ろうという動きが「ナショナリズム」と言われる。こうした思想を全ヨーロッパに広めたのがナポレオン戦争である。ナポレオンの強力な軍勢の秘密が愛国心によって結ばれた「国民軍」であることに気付いたヨーロッパ諸国は自国でも様々な改革を漸進的に進めたり、民衆の革命によって無理やり進めさせられるなどしたのだ。いわゆるヨーロッパで起こった「諸国民の春」である。(「アラブの春」はこれにちなんでいる)
こうした潮流を背景にチェコ人もまたハプスブルク帝国の支配下で自立を目指す運動を展開する。1848年のウイーン3月革命時には運動の指導者パラツキ―がチェコ人もまたその一部であるスラヴ人の会議を開催し、神聖ローマ帝国、ドイツ連邦と長きに渡って「ドイツの一部」であった状態から脱する自立運動を行う。しかしオーストリア軍の干渉でこれらは失敗に終わる。壮年期にこの革命を経験し積極的に革命側を支援したスメタナは忸怩たる思いが残っていたのだろう。彼が「我が祖国」を作曲したのはそれから約30年後の1882年だがそれ以前にも彼はオペラなどでチェコの民話などを題材にオペラを書き、後年「チェコ国民楽派の祖」と呼ばれるようになるのである。
 
次に注目すべきはスメタナの地位である。彼は生涯作曲家だけでなくピアニストや音楽教師、指揮者としても活躍していた。彼ははいわば当時の「知識人」の一人であったわけだが、重要なのはこうした人々がナショナリズムの高揚に重要な役割を果たしている事である。つまり先程も言った通り「国民国家」というのが近代になって作られたものである以上、それを理解し一般の民衆に伝えるにはある程度の知識と教養を持った階層が必要とされる。東欧諸国のようにそれまで絶対的な君主の支配下にあった国々では特にそうである(ロシア5人組でもムソルグスキーは役人、ボロディンは科学者であったりと多くが典型的な教養人であった)。作曲家もまた作曲という形でこれに貢献した。ここにいわゆる「国民楽派」音楽が誕生したのだ。


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フランティシェク・パラツキー(1798~1876)


他の何者のためでもなくチェコの人々のための曲を作曲すること――それは一見当たり前のようで当たり前ではないことが分かって頂けたかとおもう。人々に祖国の歴史、伝説、地理、風物に基づいた「これこそ○○民族を体現した音楽である」といえるものを聞かせることで自らを「○○民族である」と自覚させること。これこそ、「 国民楽派音楽 」とその作曲家が果たした役割である。19世紀のナショナリズムを知れば、クラシック音楽は一層面白く聴ける。

                                        


スメタナ:わが祖国スメタナ:わが祖国
(2004/12/22)
クーベリック(ラファエル)

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チェコの指揮者ラファエル・クーベリックが冷戦後亡命先の米国から帰国し、ビロード革命によって民主化された祖国で振った歴史的名盤

※画像はWikipediaより転載


(門前ノ小僧)




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