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2013.05.03 (Fri)

<教養>は一日にしてならず―メンデルスゾーンの生きたドイツ市民社会

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 引き続きクラシック万歳!!

 

イヤホンかヘッドホンでの視聴をお勧め致します。

   

メンデルスゾーン作曲『夏の夜の夢』序曲より 結婚行進曲




メンデルスゾーンと聞いて皆さんは何をイメージするだろう。「有名なヴァイオリン協奏曲の作曲家でしょ」とか少し詳しい人なら「結婚式に流れる行進曲も彼の作曲よね」と答えるかもしれない。しかし彼の人生ともなるとあまりピンと来ないのではないか。それもそのは筈、彼の経歴を調べてみれば分かるが劇的な出来事はほとんどない。しかも彼は今でいう「インテリ」でもあった。銀行業を営む裕福な家庭に生まれたことももあり、彼は幼いころから英才教育を受けていた。そのため音楽だけでなく語学(母語のドイツ語に加え英語、フランス語、イタリア語更にはラテン語、ギリシャ語!)を修め、絵の才能も開花させたという。しかも彼は祖父が大哲学者モーゼス・メンデルスゾーンであり、自身も巨匠ゲーテに会うなど知的な交流にも事欠かなかった。このように書くといかにもメンデルスゾーンは近寄りがたい人のように思われるし、劇的な生涯など望むべくもない。
しかしここである疑問が出てくる。何故メンデルスゾーンは音楽家にもかかわらず音楽だけでなく様々な教育を受ける必要があったのだろう。第一の理由はもともと親が彼を音楽家にさせるつもりがなかったというのがあるが、それなら何故逆に彼は音楽を学ばなくてはならなかったのだろうか。すると次に考えられる答えは「教養」の為だ、というものである。実はこの「教養」こそが今回重要なキーワードになるものであり、メンデルスゾーンの生きた19世紀ドイツ前半の社会の一端を知る手掛かりになるのである。
 

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フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)


ここで注意してほしいのはドイツ語における「教養」の意味である。それは今の日本でよく見られる「教養のための○○」というような、うんちくを沢山覚えることとは訳が違う。「教養」をドイツ語では"Bildung"というが、これはもともと動詞の"bilden"「作る」に由来する。では何を作るかと言えばそれは「人間の内面」である。つまり「教養」の意味には、生まれたばかりの未熟な自己の内面を、長い人生をかけて完全な人格へと築き上げていく、という意味が含まれているのである。
この概念を特に重要視したのは19世紀では主に市民階層であった。もちろん貴族でも良さそうな気がするがこれには訳がある。19世紀は市民革命と産業革命によって王・聖職者・貴族の力が弱まり、市民の勢力が強まった時代であった。しかし貴族と市民の間には依然として「生まれ」を基準とする身分格差が残っていた。貴族は自らの血統を誇りにしつつ、市民を軽蔑していたのである。当然市民はこれに反発し、「生まれ」に代わる価値観を探すようになる。この時見出されたのが「教養」であった。「教養」の持つ、人生においてたゆみなく修養すれば誰もが完全な人格に到達出来るという考えは彼らを引き付け、血統に安住する上層階級を逆に批判できるようになったのである。また19世紀前半のドイツ市民社会は英仏のそれとは異なる事情も抱えていたことも重要である。当時政治的、経済的革新がドイツでは実現していなかったため、それらを基盤とする市民という概念自体が非常に曖昧なものだった。そこで貴族や農民と自らを分ける‘ アイデンティティ ’として「教養」が選ばれ、教養を備えた人々を市民とみなすようになったのである。ここにおいてドイツに特有な市民概念"Bildungsbuergertum"「教養市民層」が誕生したのである。
では何をすれば「教養」を持った人物とみなしてもらえるのだろうか。重要なのはそれは職業や出身大学などの資格では必ずしも決まらない事である。むしろそれは文芸活動や音楽活動に従事し自己の内面に「望ましい感情」を喚起することで得られるのである。当時のドイツ市民社会と音楽の関係を研究している宮本直美氏は例として高等教育を受けたエリート役人の多くが余暇にアマチュアとして楽器を弾いたり合唱サークルに参加したことを挙げている。特筆すべきことは楽器演奏にしても合唱にしても一朝一夕に出来るものではない点である。長い修養を通して初めて上達するからこそ、"Bildung"「教養」にふさわしいのである。つまり音楽活動は一種の「自己教化」であって、決して単なる大人の気晴らしではなかったのだ。このような市民層の間での活発な音楽活動はアマチュアの合唱においてはオラトリオ・ブームへとつながり、メンデルスゾーンもこの流れに乗ってバッハの「マタイ受難曲」を再演したり、オラトリオ「エリヤ」を作曲している。

 
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ベルリンにおいて結成された合唱団体「ベルリン・ジングアカデミー」の専用ホール。この伴奏を受け持つ楽器奏者のための養成機関が後に現在のベルリン・フィルに発展した。後には似たような団体が各地で結成されるようになる。





イヤホンかヘッドホンでの視聴をお勧め致します。




メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」第1楽章
アーティスト 指揮ニコラウス・アルノンクール


またこの「教養」概念はドイツ・ユダヤ人とも密接な関係を持っていた。当時のドイツ・ユダヤ人はゲットーと呼ばれる隔離された居住地区からようやく解放され、一般のドイツ人と同じ生活を送ることが徐々に可能になりつつあった。(メンデルスゾーンの祖父であり哲学者のモーゼス・メンデルスゾーンが、啓蒙思想によりユダヤ人自らが自己を解放しヨーロッパ社会に同化する道を説き‘ユダヤ教改革運動’が進んだ。)しかし一方では民衆の間のユダヤ人差別は根強かった。その時ユダヤ人を引き付けたのが「教養」概念であった。先にも書いた通りこの概念の特徴は、誰もがそれを努力によって得ることが出来ることであり、目指された目標も完成された人格という「普遍的」なものであった、という点がある。「教養」によって‘貴族’と‘市民’という違いを超越したのであれば、当然‘ドイツ人’と‘ユダヤ人’の違いも乗り越えられるはずだ、ユダヤ人はこう信じて率先して「教養」の道に進んでいったのだ。こう考えると豊かなユダヤ人家庭が子息に英才教育を施す理由には単に立派な人間になってもらうことだけではないと分かる。それは引いては将来ドイツ人のユダヤ人「差別」を除去することにも繋がってほしいという切実な願いがあったのだ。やがて「教養」と啓蒙が市民社会の主流となる中で、ユダヤ人も一時は他のドイツ人と「平等」に扱われているという感触を抱くに至った。

だが一方で、ユダヤ人の夢見る「教養」の世界とは全く別の世界も19世紀のドイツでは早くも見られるようになる。転機はナポレオンのドイツ侵略である。圧倒的なフランス軍の強さの源を、「国民」の一体感が要となっている事に気付いたドイツ人は、当時分裂状況であった自国の統一を叫ぶようになる。そこで強調されたのは「教養」概念の理想である完成された普遍的な‘ 人格 ’に代わる、固有の‘ 民族 ’性であった。民族に固有のものは何かといえばそれは歴史であり、伝説であり、神話である。いずれも非合理的な要素や感情をはらんでいるのが特徴である(ロマン主義)。 やがてこうした神話や非合理的な感情をモチーフにした作品が文芸や音楽の中に登場し始める。古ゲルマン伝説を下敷きに書かれたオペラ「ニーベルングの指輪」の作者ヴァーグナーはその代表と言えよう。彼はメンデルスゾーンを始めユダヤ人を批判するに至ったのが、その理由もまた彼らが単にユダヤ人だからだけでなく、‘ユダヤ人が、非合理的な感情やドイツの民族性に対立する「理性」や「教養」の代表’であると考えたからであった。しかし時代の流れが徐々にこうした「民族主義」に進む一方で、ユダヤ人は現実から目を背け「教養」の理念にしがみつづけた。その中には「教養」の目指す究極の人間性が実現できるとして平等の理想を掲げる社会主義へ走るユダヤ人が現れたり、フロイト等のように「教養」の取る理性的な立場から非合理的な人間の無意識を検証する知識人も現れた。

そのような彼らにとって1933年に反ユダヤを掲げるナチスが政権を取ったことは何よりの皮肉であったかもしれない。というのもナチスの支持者となったのは、かつて「教養」の理念のもと共に自己を磨き合いながら、その後に起こった世界大戦と経済恐慌によって見る影もなく落ちぶれた末にナチスに最後の望みを託した「市民層」であったのだから…。





メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」他メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」他
(2010/10/20)
クレンペラー(オットー)

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メンデルスゾーンと同じユダヤ人の名指揮者オットー・クレンペラー(1885~1973)が残した録音。クレンペラーはナチスの迫害でドイツからアメリカへ亡命し後にイギリスへ渡り、当地でフィルハーモニア管とともにこの録音を残した。メンデルスゾーンの時代のユダヤ人の状況と自らのそれとのあまりの変動ぶりにクレンペラーは何を思ったのだろうか。演奏は非常に重厚なものである。




                    
ユダヤ人の「ドイツ」―宗教と民族をこえて (講談社選書メチエ)ユダヤ人の「ドイツ」―宗教と民族をこえて (講談社選書メチエ)
(1996/06)
ジョージ・L. モッセ

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ドイツの近現代史家ジョージ・L・モッセがドイツ・ユダヤ史を「教養」の観点から捉えなおした著作。モッセ自身もナチスの迫害でイギリス、アメリカへと亡命したユダヤ人である。





教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽
(2006/02/17)
宮本 直美

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19世紀前半のドイツの市民社会を「教養」と「音楽」の関係をから描写した歴史学・音楽学・社会学を横断する著作。





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クレペンラーが1969年にバイエルン交響楽団を振ったメンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」第4楽章。後半が短調に改変されている。

※画像はWikipediaより転載
( 門前ノ小僧 )





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